第6話 ゴーストライター殺人事件



「ニイハオ~」
 安安藤(やすあんどう)刑事が給湯室をのぞいて挨拶をした。不機嫌な顔で振り向いたのは銀俵(ぎんだわら)警部である。
「なんだお前は。いつから中国人になった」
「え、銀俵警部はこの挨拶がお好きだったのでは」
「誰がそんなたわけたことを」
「前に、警部ご自身が」
「そんなはずはない。おそらく空耳というやつだな」
「御鎚(みづち)警部も仰ってましたよ。やつはニイハオと挨拶すれば喜んで指示に従う男だ、って」
「はん、やつはどれだけ古い話をしているのだ。これだから流行にうといやつは困る」
「なんだ、憶えてるじゃないですか」
「くっ、誘導尋問とはなかなかやるようになったな」
「そんなに褒められるとよだれが出ます。ていうか探しましたよ警部」
「なんだ怪事件か? それとも迷宮入り事件か?」
「怪の方ですね。でもその前にご紹介したい人が」
 安安藤が振り返って合図をすると、一人の女性警官が部屋に入ってきた。歳は安安藤より少し若いくらい、鋭い眼光が特徴的である。
「ほう安安藤。お前もなかなか隅におけないじゃないか」
「いえ、そういう関係では……」
「まさか、お前にひ孫がいるとはな」
「それは年齢的に無茶な設定です。……こちら、御鎚・クリスタル・君枝刑事。今日からしばらく警部の下で現場実習をすることになりまして」
「なんだか嫌な苗字だな。偽名であることを祈ろう」
「本名です。御鎚警部の姪御さんですよ」
「なに、あいつにもひ孫がいたのか」
「ひ孫ってどういう意味で使ってるんです? ……えーとこちらが御鎚警部からの伝言です。渡してほしいと頼まれまして」
「なになに……上の指示で今日から姪が世話になる。くれぐれもよろしく頼む。……なんだ伝言てほどの伝言でもないな」
 すると御鎚刑事が優雅におじぎをして言った。
「お噂はかねがね伺い存じ奉っております、銀俵警部。わたくし、ミズゥチと申します。よろしくご授業の程お願いいたしますわ」
「なんだこいつは。ペテン師の一種か」
「早合点しないでください警部。二枚目の伝言も読んでください」
「おっともう一枚あったのか。……なお姪はフランス生活が長かったために日本に関して不慣れなところがある。性格的にも素直すぎるきらいがある。多忙でなければ私が面倒を見るのだが、あいにくそうもいかない。くれぐれも余計なことは吹き込まないでもらいたい。きみが姪にきちんとした現場研修をしてくれるよう祈っている。間違ってもくだらない嘘を吹き込まないでもらいたい。……はははは、みろ安安藤。御鎚のやつ日本語を間違えて何箇所も添削されているぞ」
「その赤い文は添削の跡じゃなくて注意書きだと思いますが」
「フランスにいたのか。フランスのどのあたりだ?」
「ブルゴーニュ地方であらっしゃいますわ」
「ほう、あそこはいいところだな」
「あらブルゴーニュに行ったことがおありでして?」
「ない。山勘だ」
「まあ、なんて嘘臭い男でございましょう」
「なあに、それほどでもないがね」
「あらそれほどでもないのですね。失礼遊ばしました」
「いやあそれほどでも」
「すっかり警部のペースですね。ていうか最近何してるんです? 銀俵さんを探していたら、あいつはどうせまた給湯室にこもっているに違いない、って御鎚警部に言われたんですが」
「あいつめ、さてはおれのハッピーライフを邪魔立てしようとしているな」
「給湯室にハッピーなものがあるんですか」
「茶がある。おつまみがある。そしてなにより冷たい目を向けてくる同僚がいない」
「署内での人望のなさを浮き彫りにするコメントですね」
「人望なんてこのクッキーのようにはかないものさ」
「ジンボウというのはクッキーのことでしたのね。勉強になりますわ」
「そうだぞクリスタル」
「ミドルネームで呼ぶのって斬新だなあ」
「わたくしも、日本でミドルネームで呼ばれるのはちょっと抵抗が」
「いや、今日からお前はミドルネームだ!」
「もう名前を間違ってますって」
「あいかわらず細かいやつだな。いいから早く怪事件とやらの話をしろ」
「それには屋上に出て頂く必要があるのですが」
「やだぁーここから出たくないよぉー」
「4歳児みたいにぐずらないでください」
 3人は安安藤を先頭に屋上に出た。安安藤がどこかに電話をしてしばらくすると、巨大なコンテナを吊り下げたヘリがやってきた。ヘリはコンテナを下ろすと去っていった。安安藤がコンテナの横の戸を苦労して開けると、中から大量の資料があふれ出した。
「安安藤……前から言おう、言おうと思ってはいたんだが」
「すいません警部。なかなか整理する暇がないもので」
「整理など必要ない。もっと小さい字で書けばいいのさ。半分の大きさで書けば、資料も半分になるぞ」
「なるほど」
「こんな基礎で感心していてどうする。私くらいのベテランになるとほれ、これくらい朝飯前だ」
「警部、手帳なんて持ってたんですね……うわ、小さい! というか見えない!」
「そうなんだ。小さすぎて私にも読めない……」
「自分の発言でそんなにヘコまないでください」
「ちょいとお待ちを。ヘコむというのは車をぶつけたときの表現だけではないのですか?」
「そうだぞクリストゥル。他にも缶がヘコむ、気分がヘコむ、愉快にヘコむ、などという使い方がある」
「愉快にヘコむとはどういう意味ですの?」
「それはあれだ、安安藤が茶を飲んでいるときに後ろから延髄蹴りをかましてやれば分かるだろう」
「堂々と私を襲撃する陰謀を企てないでください。あと御鎚刑事、愉快にヘコむなんて言わないからね」
「なんと! 言わないのですか。もうメモしてしまいました」
「いつの間にメモを」
「わたくしのメモ帳は頭の中におありですわ」
「さすが御鎚警部の姪御さん、ただものではないね」
「そういってもらえると喜ばしい限りに存じます」
「ふん、安安藤ごときの台詞で喜んでいるとは、まだまだガキのヒヨッコちゃんだな」
「ガキ? ああ、餓鬼のことですか。銀俵さんは仏教にも通じておられるのですね?」
「お、おう。そうだな。たぶん」
「あーあったあった。今回の事件の資料はこれです」
 安安藤は身長より大きな資料を拾い上げた。
「なかなか奇妙な事件でして……容疑者は古田堂ノ介、41歳男性、作家」
「なんだもうホシは挙がっているのか」
「本人が自首してきたんです。なお血液型はO+、好きな食べ物はウツボのから揚げで、醤油に一味唐辛子を少し加えたのにつけて食べるのがこの上ない喜びだそうで」
「あいかわらずどうでもいいデータが入っているな」
「日本にも食通がござっしゃいますのね」
「待てよ、作家で古田……ひょっとして『マジック・オブ・ザ・プランター -黒き糸電話の名残ー』を書いた人ではないのか?」
「あえて一番売れなかった本を出してくるあたりがさすがですね……。一時期『ホットスープは卵ご飯に混ぜて』という本で有名になった方です」
「なんだか微妙な取り合わせだな」
「むしろ食通らしい香りがぷんぷん漂って参りますわ」
「で、黒い糸電話の作家が何をやらかした」
「どうしても糸電話がいいんですね。……先週土曜日、つまり3日前にここ八谷署に出頭しまして、人を殺してしまった、私がやったとうなだれたまま告白したそうです」
「そういうのを良心の呵責というのですわね。それでいったいどなたをお殺しに?」
「殺すって言葉を丁寧にいう必要はないと思うよ。……ガイシャは武藤田小一郎、36歳、作家。糸電話の古田によれば仕事のパートナーとのことですが、その後の調べで武藤田は古田の作品の代筆を長いことやっていたことが分かりました。『ホットスープ』もほとんど全文、武藤田が書いた作品だったようです。いわゆるゴーストライターというやつですね」
 とたんに銀俵があとずさった。
「ゴーストライダー! な、なんて恐ろしいものに手をつけるんだ」
「ライダーじゃなくてライターなんですが」
「似たようなものだろう。アボカドをアボガドというようなものだ」
「不思議な説得力がありますわね。でどのあたりが恐ろしいんでございましょう」
「うむ、うちには本が一冊しかないんだが、その本によれば地獄からの使者であるらしい」
「つっこみどころが多くて助かります……まず本が一冊っていうことはないでしょう。警察学校時代の教科書なんかはどうしたんですか?」
「燃やした。冬のある寒い日、暖房代わりに使った」
「野生味あふれる生活ですね」
「違う。暖房の光熱費が払えなかったのだ」
「うう、なんだかすいません。で、その残った一冊というのは」
「黒魔術大全だ」
「そっちから燃やしましょうよ」
「なにをいう。持ち物が日に日に少なくなる中で、私から黒魔術を取り上げたら何が残るというんだ!」
「お、落ち着いてください警部」
「そうですわ、他にも探せば何かありますわよ。人間誰でも一つくらい取り柄があるものです」
「私の取り柄がその黒魔術だったらどうする」
「なるほどそれは大変です。メモしておきますわ」
「せんでいい」
「わかりました」
「素直だな」
「……ええと、それで地獄からの使者というのは」
「うむそれなんだが、黒魔術大全の245ページ上段にこう書かれている。『そは地獄からの使者。腐臭を放つ獣にまたがりて闇より出で、人の魂を求めて月のない夜をさまよう』」
「まるで一字一句引用してきたみたいな口調ですね」
「一字一句引用したのだ。あの本の内容はすっかり暗記している。暇なときはあれを読むくらいしかやることがないからな」
「そんなの読まずに外に出ましょうよ」
「で、そのお話とゴーストライターにどのような関係がありますの?」
「さすがクリストゥルメンタル、目のつけどころがいいな。腐臭を放つ獣にまたがってやってくる者は生き物ではないとされている。生き物でないということは幽霊だ。幽霊は英語でゴーストだ。ゴーストが乗り物に乗っているんだからゴーストライダーだ」
「論理的なようですが実は滅茶苦茶ですわね」
「うわあ、警部が気の毒になるほどストレートなツッコミだ」
「そういうわけでホシは古田だ。いけ、安安藤!」
「いえまだ事件の続きが……古田の証言を元に殺害現場を調査したところ、たしかに血痕らしきものはあったのですが武藤田の死体が見つからなかったそうです。ただ彼のアパートにも彼の姿はなく、携帯にも出ません。連絡がとれない以上、身内から捜索願いでも出されない限り警察としては動きようがなく、古田にも引き取ってもらう以外になかったのですが、その古田が昨日、自宅で遺体となって発見されまして。見つけたのは古田と会う約束のあった編集者の二名です。そのときすでに死後4時間以上経過していたというのが鑑識の見方です」
「つまり編集者の二名よりも武藤田に話を聞きたいところで、でもまだ連絡がお取りになれず、お足取りもつかめていない、といったところですわね」
「いや、まず疑うべきはデュラハンだな。ゴーストライダーといえばデュラハンで決まりだ」
「デュラハンというのが犯人だったら逮捕が大変そうですね。……御鎚刑事の言うとおりです。警察としては経緯があるので武藤田に話を聞きたいところなのですが、まだ見つかっていないんです。そこで我々が武藤田を捜し出すことになったわけです」
「ホシが幽霊だという可能性も視野に入れねばならんわけだな」
「やはり幽霊説は捨てられませんか」
「幽霊なんて薄気味悪いですわね。わたくしそういう恐ろしいお話は苦手でございます」
「お、待てよ……この事件はつまり、幽霊の足取りを足で追う、というわけだな? そうだな? どうだ、ちょっと上手い台詞だろう」
「幽霊には足がないですよ。足取りなんて追えるでしょうか」
「安安藤、ちょっと上手いことを言ったからっていい気になるなよ」
「手始めは古田の殺害現場でございましょうか」
「いや、武藤田が殺されていたはずの場所から見ていくのがいいだろうな」
「あらどうして。根拠は?」
「ない。刑事の勘だ」
「勘で動くことも重要、ということですわね?」
「そうだぞエメラルド」
「ついにクリスタルが完全に別物に変化しましたね」
「とにかく急ごう。陽が落ちると出るものも出やすくなるからな……」

 一行はとある公園内の雑木林に足を踏み入れた。日はほとんど暮れかけている。
「ずいぶん広い林だな。周りに人家も見えん」
「目撃情報に期待が持てない、ということですわね?」
「違う。黒魔術を行うにはうってつけの人気のなさ、というわけだ」
「なるほど。メモしておきますわ」
「ええと、このあたりに血痕があるはずなんですが……あったあった」
「探さないと見分けがつかないくらい目立たないな」
「目立たないのはこんな遅い時間になったからですよ。警部が出かける前にトイレに2時間もこもるからいけないんです」
「仕方ないだろう。たまたま出るものが出やすいタイミングだったのだ。これでも黒魔術を使って出すのを早める努力はしたんだが」
「逆効果だったのでは」
「そういえば、古田が武藤田を殺そうとした動機は何でしたの?」
「ええと、自分が古田のゴーストライターであることを世間に公表してやる、と脅されてかっとなった、と調書にあったね」
「日本語では怨恨、でよろしかったかしら」
「合ってるよ」
「やはり武藤田を探すのが一番のように思えますわね。警部はどのようにお考えですの?」
「いま探しているところだ」
「武藤田をですか?」
「魔法陣だ」
「こだわりますね」
「プロだからな」
「いつから黒魔術のプロになったんですか」
「刑事として飯を食っていきたければ、それくらいいろいろな知識を深めなければならないということだ」
「いい言葉のような気が致します。メモしておきますわ」
「わたしもメモしておこうかな」
「げ」
「どうしました銀俵さん。カエルが踏み潰されたような声なんて出して」
「いや、私も本気で黒魔術説を追うつもりはなかったんだが……」
「どうみても本気でしたが」
「見つけてしまった。こんなところに魔法陣がある」
「これは……ラテン文字を用いた魔法円ですわね」
「御槌刑事、意外と詳しいね」
「それほどでも。たしなむ程度であらっしゃいますわ」
「ラテンだろうがサンバだろうが、これは間違いなく魔法陣だ。いかん、これは……出るぞ」
「またトイレですか」
「違う、怨霊が出るという意味だ。これは間違いなく召還魔術用の魔法陣だ。すでに召還の儀式が行われた後かもしれん」
「後だとどうなるのでしょう」
「あんな感じの幽霊が出るのだ」
 銀俵が指差した方には、ぼんやりとした人影があった。
「あまりツッコむ気になれないんですが……あれホンモノじゃないですか?」
「私の目が確かならば、あれは本物の幽霊だな。足がないし、後ろが透けてみえる」
「わ、わ、わ、わたくしあ、あ、あ、ああいうのは」
「落ちつけサファイア。大丈夫だこれから私が反魂の術をかけるから」
「それじゃ生き返るだけではございませんか」
「普通に話についてこれるのがすごいな」
「一般教養でしてよ」
「とにかくあれは武藤田の幽霊に違いない。そうかわかったぞ、やつは古田に殺され、復讐のためにあの世から舞い戻ってきて古田を刺し殺したのだ」
「あれ、古田が刺殺されたってこと、わたし話してなかった気がするんですが」
「なあに問題ない。ほれあいつが手にしているのはどう見ても鋭利な刃物だ。すぐに刺殺だと察しがつく」
「警部、あれはさすがにやばいですって。ここはダッシュで逃げましょう」
「まあ待て、今から反魂の術を……」
 銀俵は地面にすらすらと魔法陣を書いた。
「ものすっごい書き慣れてませんか」
「言っただろう、ほぼ毎日黒魔術大全を読んでいると。ちなみにこの印は418ページから419ページにかけて……」
「そのあたりの説明はカットの方向でお願いします」
「そうか? では……っと困ったな。おい安安藤」
「なんでしょう」
「このあたりに黒とかげの頭はないかな」
「そのへんに気楽に落ちている気がしないのですが」
「頼りにならんやつだ。おいプラチナ。プラチナ? ……はははは、みろ安安藤、こいつ恐怖のあまり固まっているぞ」
「そこをつっこんじゃかわいそうですって」
「仕方ない、とかげなしでいくか。どうなるんだろうな」
 銀俵が魔法陣の中心にマッチで火を点けると、魔法陣全体が燃え上がった。とたんに「キエエエエエエエ」とすさまじい叫び声が響く。
「警部、ねえ警部、御槌刑事が怪鳥じみたすごい叫び声をあげてるんですが」
「うーむ、これは失敗というやつだろうな」
「こんな失敗がありますか。って御槌さん!? 御槌さん……ねえ警部。御槌さんが幽霊に向かってダッシュしてますけど」
「いかんなこれは。逃げるぞ安安藤」
「ここでですか?」
「人間、何事もタイミングが重要なのだよ」
「このタイミングは絶対おかしいですって」
 銀俵は全力で御槌と反対の方角に駆け出し、安安藤も仕方なく後を追った。

 その日の夜、御槌刑事の手によって、逃走中だった武藤田が逮捕された。
 先週古田を脅迫した武藤田は、逆上した古田に後頭部を鈍器で殴られ昏倒。しかし古田が去った後に意識を取り戻し、しばらく身を潜めていた。そして古田が帰宅したのを見計らって彼を訪ね、再度脅しにかかったところ揉みあいになり、護身用のナイフで誤って古田を刺してしまったという。なぜ武藤田が凶器をすぐに捨てず、手に持ってうろついていたのか、といった細部については今後の調査に委ねられる。
 なお御槌刑事は今回の逮捕劇について「無我夢中でしたわ」とだけコメントしている。

 安安藤はそのことを銀俵に伝えた。
「やはりな」
 銀俵はそう言ってにやりと笑った。


「銀俵」へ