マハーバーラタ



 さて、諸君はこの「マハーバーラタ」という名を憶えているだろうか。ラーマーヤナと並ぶヒンドゥー教の物語の一つで、たしか中学の歴史の授業でほんのちょっぴり名前が出てきたはずである。あるいはインドに今も残る身分制度、カースト制についてはどうだろう。これも歴史の授業で…なに憶えていない? まあ心配せずともよろしい。本稿を読むにあたってはそんなに重要でもないから

 神話を好んで読み漁るといういささか狂気じみた趣味をもつ筆者が、長年の気の迷いを経てついに手を出したのがこのマハーバーラタである。しかも抄訳版などという甘っちょろいものではなく、なんと原典訳に手をつけてしまった。研究者でもなければまず読むことのなさそうなこの本を読んだ筆者は驚愕した。なんというツッコミどころの多さなのかと。そこで今回はそのツッコミどころに的を絞って、諸君らに物語の手ほどきをしてみたいと思う。なおこの本、宗教的な本でもありひょっとしたらヒンドゥー教徒の方が筆者の戯言を読んだら激怒するかもしれないが、宗教的な部分ではなくあくまで物語部分にツッコミを入れていくだけなのでできればそっとしておいてほしい。

 いま一つ断りを入れておきたい。筆者は原典訳などという長大なシロモノを読破(正確には読破できなかったのだがその点には後ほど触れる)したわけだが、そんな長い本をこんな戯言のためにわざわざもう一度引っ張り出してきて正誤の確認をしようなどという元気はない。よって記憶だけを頼りにつらつら書き殴っていくつもりなので多少おかしな感じになる部分も出てくるだろうが、そこは一つ適当に読み流して頂きたい。
 ついでにもう一つ。昔の話は性的におおらかな面があり、この本も内容的に少々アダルトな話が出てくる。表現はなるべくマイルドにするつもりだが多少そのへんも触れていくつもりなので、気になる方はここで回れ右して頂きたい。

  1. 世界観の基礎
     本題に入る前に軽く世界観について説明しておこう。
     まずカースト制。現代インドにも残っている身分制度だ。これを知っておかないとよく分からない話になるので簡単に説明しておく。といっても概要だけ知っていれば十分である。筆者も概要しか知らない。
     主な身分は4つだ。偉い順に並べてみる。ちなみに身分ごとになれる職業が決まっている。

    • バラモン
      とにかく偉い。とにかくすごい。僧侶、学者、修験者。
      苦行を行うことで神をもはるかに超えるパワーを得られる。
    • クシャトリア
      王族であり戦士。武士みたいなもの。
    • ヴァイシャ
      商売人。本書にはほとんど登場しない。
    • シュードラ
      奴隷。上の3つの身分に奉仕するのが仕事。というか他の仕事をしちゃいけない。

     本書はほぼバラモンとクシャトリアの物語である。他の身分はおまけ程度に憶えていればよろしい。が、一応伝えておくと上のカーストに移るためには定められた修行(カーストごとにやっていい修行が違うらしい)にひたすら励み、それを1万回くらい転生しながら繰り返さないといけないらしい

     あと登場人物としては、人間以外に神と悪魔が出てくる。神と悪魔は敵対関係にあるのだが、本書では過去の大きな戦いがちらほら語られる程度なので悪魔はあまり登場しない。問題は神だ。「神々の王」インドラとその他の神、がいるのだが、なぜか王よりさらに上にシヴァというすごい神がいる。どれくらいすごいかというと、たぶん小指でデコピンしただけでインドラを倒せる。じゃあ王であるインドラはどれくらいすごいのかというと、これが正直最後までよく分からなかった。シヴァ以外の神々はバラモンが修行を始めるとあの苦行は自分たちをやっつけるためにやっているんじゃないかとすぐ被害妄想に駆られビクビクしだして、修行をやめさせようとなだめたりすかしたり、時には露骨な妨害工作に出たりするのだ。なぜそれほどまでに人間であるバラモンを恐れるのか、はこの後すぐに述べるが…。ともかく筆者の印象だと彼らのすごさの序列が、

    シヴァ >>> バラモン >>>>> インドラ > 他の神 > クシャトリア

    くらいに感じられる。もっとも、最強の座を最後までゆるがせないシヴァにしてもこんな逸話がある。あるとき妻パールヴァティが気まぐれに自分の垢をこねて美少年・ガネーシャを作りだした。そうとは知らずに帰宅したシヴァは、知らない男が妻の入浴の番をしているのを見て間男と勘違いし、怒って首をはねてしまった。ところが今度は妻がそのことに激怒。シヴァは慌てふためき、たまたま家の前を通りかかった象の首を斬り落としてガネーシャにくっつけて無事に生き返らせましたさ。…そんななんちゃってハートウォーミングエピソードがあったりはするものの本書には出てこない話なのでさらっと流しておく。

     神々の王インドラのイマイチっぷりについてもこの際少し述べておこう。マハーバーラタ世界では一人の人物に3つも4つもあだ名がつくのが当たり前である。英雄ともなると何か成し遂げるたびにその行為を表す名前がついたり、ひどいと生まれ落ちたときの泣き声が大きかったので「大声を上げるもの」みたいなあだ名がついたりととにかくぽんぽんあだ名が増える。多い人物だと1000もあだ名があったりするがおそらく本人だって憶えきれまい
     まあともかくインドラにもいろいろあだ名があるのだがその一つが「ヴリトラ殺し」。ヴリトラとは世界を震え上がらせた恐ろしい怪物である。そのヴリトラを倒すためにインドラはヴァジュラという武器を作り出すが、ヴリトラに面と向かってヴァジュラを投げつけたのはいいものの、それだけであまりの恐ろしさに耐えきれなくなり、結果を見ずにその場から逃げ出して海の底かどこかに隠れてしまう。が、このとき投げつけたヴァジュラによってヴリトラは実は倒されていた。こうしてインドラは「ヴリトラ殺し」と呼ばれるようになったのである。…ってえーと、その展開でこのあだ名って、しっくりこなくない?

     とにかく、だ。バラモンはとにかくすごい、というだけは憶えておいてほしい。むしろマハーバーラタはバラモン様バンザイなお話と言ってしまっても過言ではない。なにしろ、筆者とされる人物もまたバラモンなのだ。つまり…わかるな?


  2. 神話の時代、おもにガルーダのこと
     さて、本書はおおざっぱに言えばクシャトリアの同族同士の内部紛争の話である。日本語訳にして十数巻にも及ぶ本書のうち、筆者の大好物である神話、つまり神様メインのお話は最初の1冊しかない。2巻目からはクシャトリアの歴史の話になり、やがてメインのパーンダヴァ5兄弟 vs ドゥルヨーダナ100兄弟の戦争の話になり、だんだんと説教臭い内容になっていくのだが…。まあいい、順を追って紹介していこう。

     神話というとやたらと壮大なお話が出てくる。本書にも不老不死の薬「アムリタ」を作り出すために、神と悪魔が協力して、世界一高い山をひっくり返して海に投げ込み、ドラゴンを綱代わりに使って山をぐるぐる回して海をかき混ぜました…とかいう世迷いごとが出てくるが、ここでむしろメインに紹介しておきたいのはそれではなくガルーダの話である。
     ガルーダ。伝説の怪鳥。ゲームやファンタジーにもたびたび登場するので名前だけは知っているという方も多かろう。このガルーダが誕生したときの話が、まさに「バラモンすごい」「バラモン怖い」な話でもあるのだ。

     あるとき、神様やバラモンたちが総出で何か(アムリタだったか?)を運んでいた。神々の王であるインドラもこの仕事に携わっていたのだが、ふと足元を見ると小人のバラモンたちがえっちらおっちら、わずかな量のお荷物を抱え持って必死に歩いている。インドラはウププと笑って

    「きみらはなんて小さいんだ。私なら一足できみらを超えていけるんだぞぉ」

    と大人げなく彼らをひょいとまたぎ越していった。が、もっと大人げなかったのが当の小人バラモンたちである。

    「インドラは我々をまたいでいった。なんという無礼だ。ひどい目に遭わせてやらないと気が済まん

     そして寄り集まってバラモンお得意の苦行を始める。このときの苦行がどんなものだったかは忘れたが、バラモンが行う苦行はおおよそ2種類あって、一つは断食。何も食べずに空気だけで1週間、1か月、長いものになると1年とか1000年も耐え続ける。そんなに続けたらお腹が空くとかではなく寿命で死ぬんじゃないかと思うのだが彼らの体の構造はいったいどうなっているのだろう。そしてもう一つはひたすら立ち続けるという地味なもの。このときの姿勢も苦しいものであるほど効果が高く、例えば両手を天に向かって伸ばし、片足の親指一本で立ち続けるというのを1週間、1か月、長くなると1000年くらい続ける。なぜそんなことで神をもはるかに凌ぐパワーを得られるのか、物語中に詳しい説明がないからカラクリがよく分からないが、バラモンが苦行に励みだすとたいてい神々は「あれは我々を打ち倒すためにやっているのでは」とピリピリイライラし始める。イライラしてどうするかというと、苦行をやめさせるよう、神々の王インドラに調停を依頼する。そこでインドラは下界に下りていって、「あのさ~みんながびびってるんで苦行やめてくんない? 代わりに願いごとを叶えてあげるから」などと交渉を始める。苦行によってというより、こうしてインドラやシヴァから「お願いごとの権利」を引き出して望みを叶えるパターンが多い。見ようによっては苦行することで神々を脅迫しているようでもある

     ともかく、だ。小人のバラモンたちもそんな感じの苦行をする。で、その苦行によって生まれたのが怪鳥ガルーダである。怪鳥、というからにはとんでもなくデカい。デカいだけでなく力も強い。どれくらい強いかというと、軽く羽ばたきしただけで地上に猛烈な埃が舞い、その埃のあまりの多さに天は陰り太陽は見えなくなり、生きとし生けるものたちみな不安に怯え一斉に嘆きの声を挙げる、というレベルである。こういうやたらとスケールの大きい表現も神話の魅力の一つなのだが、とはいえそんな鳥がいたらいくらなんでもまずかろう。そんなものが気分転換に空の散歩にでも出た日には地上が壊滅しかねない

     さて生まれ出たガルーダ、他にもすったもんだがあった末に、神々が悪魔に盗まれないよう厳重に管理しているあの不老不死の薬、アムリタを盗み出そうと動き出す。動き出すからには空を飛ぶ、空を飛ぶからにはその気はなくても地上を1000回くらい壊滅させたんじゃないかと思われるが物語にはその凄惨な様子は描かれていない。一方神々である。彼らはガルーダの意図を察知し、もちろんただで盗ませるわけにもいかないので、ガルーダを迎え撃つべく全員戦闘配置に着いて待ち構える。当然あのインドラも、彼専用の最強のこん棒であるヴァジュラを手に本気で殺す構えだ。
     やがてやってきたガルーダに対し、神々はいっせいに攻撃を開始する。インドラも全力でヴァジュラを投げつける、他の神々も神話に伝わるものすっごい武器を次々に投げつけるのだが、なんとガルーダにはかすり傷一つ与えられない。神々はなすすべもなく散り散りに逃げ惑い、ガルーダはまんまとアムリタをゲットしてしまう。

     まだマハーバーラタも始まったばかりだというのに、いきなりとんでもないバランスブレイカーが誕生したものだ。しかもきっかけは頭上をまたいでいったインドラに激怒したバラモンの仕返しなのである。もうご理解頂けたであろうが、この世界では決してバラモンを怒らせてはいけない。ちょっとでも怒らせたら神々をはるかに超える力を持つ怪鳥を召喚される恐れがある


  3. バラモンの弟子1、穴に埋まる
     ここから高名なバラモンの逸話がいくつか出てくる。中でも強烈なのが3人の弟子を持つバラモンの話だ。さっそくご紹介しよう。

     あるバラモンに3人の弟子がいた。バラモンには師弟制度があり、弟子が独立し一人前のバラモンとなるには、師であるバラモンを「満足」させなければならない。何が師を満足させるかはそのときどきで変わるので、弟子は師のいうことはすべて聞かなければならないし、師が満足するまでに何年かかるかも分からない。まあ、現代風に言えばブラック企業である

     さて、あるとき町から人が来て、町のど真ん中から水があふれでてきて困っている、なんとかしてもらえないか…と高名なバラモンに助力を依頼してくる。バラモンは建築技師でもなんでもないのだが、貢物に気をよくしたのか鷹揚にうなずき、弟子の一人に「よし、お前行ってなんとかしてこい」と気軽に命じる。もちろん弟子に断る権利はない。弟子はさっそく町に赴き、問題の水が出てくる穴をいろいろなものを使ってふさごうとするが、どうしてもあふれ出る水を止められない。どうしたものか…と穴を眺めているうちに、ふとその穴のサイズが自分にぴったりなんじゃないかと気づく。だいぶお疲れだったようだ。で、その穴に身を横たえてみるとあーら不思議、穴はほんとにジャスト・フィットでおかげで水もぴたりと止まった。だが、もちろん穴から抜け出てしまえばまた水が噴き出てきてしまう。そこで弟子は、身動きせずにずっと穴にはまっていた。

     さてそれから3か月ほど経った頃だろうか。バラモンは朝食を食べていて、ふと弟子の一人がいないことに気づく

    バラモン「あれ? なあ、最近弟子1を見かけない気がするが、あいつはどうした?」
    弟子2「師匠、弟子1は師匠の命令で町に水を止めにいったまま帰ってこれなくなっています」

     いまさらですか? と弟子2だって思ったはずだがもちろん口答えなどしない。そこでバラモンが町に出向いてみると、なんと弟子1が穴にすっぽり埋まって水を止めているではないか。それを見たバラモンは弟子に向かって一言。

    「お前には満足した」

     この超高高度から見下ろしたような上から目線の一言こそ、マハーバーラタ世界において上の者が下の者を認めた印である。こうして弟子1は見事、師からの独立を果たしたのであった。…ってなんだよこの話


  4. バラモンの弟子2の冒険
     続いて弟子2の話である。彼は師であるバラモンの言うことを何でもよく聞き、バラモンから「もう独立していいよ」と言われるのだが、バラモンの師弟関係終了にはまた別の掟があって、師に許されるには言葉だけでなく何かしら師が望むものを与えなければならない。そこで弟子が「何か欲しいものはないでしょうか」と独立するためだけのプレゼント作戦に出るのだが、こんなときばっかり聖人君子なバラモン、「欲しいものか~別にないんだよなあ」などと弟子をやきもきさせるばかり。「あぁ!? いいから適当に欲しいもの言えやコラ!」などとうっかりキレたら最後師匠の苦行により消滅させられかねないので、弟子はじっと機会を待つしかない。
     やがて「わしには欲しいものはないが…」と師が持ち出したのは、師の奥さんが欲しがっているイヤリングの話。そのイヤリングというのがこの地を治める王の妃の持ち物で、それを譲ってもらってきてくれ、というのが師の要求である。奥さんとお妃がどういう仲なのかは知らないが普通に考えるとジャイアニズム全開な要求である。もちろん師には逆らえない。弟子2はこの傲慢な買い物イベントをこなすべく、城に向かって出発するのである。

     弟子2が道を歩いていると、むこうから牛を連れた農夫が歩いてきた。農夫は弟子2を呼び止め、「この牛のフンを食べなさい」といきなりとんでもない要求を突きつけてくる。弟子は弟子ではっきり断ればいいものを、「いやあ、今はちょっとそんな気分じゃないですから…」などと普段から牛のフンを食べ慣れているかのような返事。農夫は(これなら強く押せばいける)とでも思ったのか、ダメ押しとばかり「まあそう言わずに。あなたの師であるバラモンもこの牛のフンを食べたのですから」とだからどうしたとしか思えない脈絡のない押し売りをしてくる。バラモンは師の言うことを聞かねばならない…とはいえ、師に直接命じられたわけではないのだからはっきり断ればいいものを、「え、そうなの? じゃあ頂こうかな…」となんと弟子はそのフンを食ってしまう。すると実はそのフンは不老不死の薬アムリタであった。

     …えーとごめんなさい。展開が雑すぎてまったく話についていけないんですが

     このさっぱり理解不能なやりとりの後、弟子2は王のいる城にたどり着く。王といえどバラモンは怖いのだろう、「王妃のイヤリングをよこせ」と弟子に言われてもまったく断る気配もみせず、「妃は後宮にいますので、直接かけあってみてください」とにこやかに答える。見方によっては厄介な判断を妃におっかぶせたようにも見えるが弟子としてはお使いさえ果たせればいいので、さっそく後宮に乗り込んでいく。しかしどうしたことだろう、隅から隅まで探しても妃の姿などないではないか。

    「呆れた王だ。生かしておけぬ


    などとどこかの牧人のようなセリフを吐いたかどうか、ともかく弟子は城に戻り憤然として王に迫る。誤解だろうがなんだろうがバラモンを怒らせたら命はない。王は必死に弟子をなだめにかかる。

    「ままま待ってください。そんな、騙そうなどとはしておりませんよ!
    妃の姿は、身を清めたものにしか見ることができないのです。
    バラモンよ、道中で身を汚すようなことをされた覚えはないですか?


    こう問われた弟子、ここではたと気づく。

    「あっ、そういえば…
    途中で牛のフン食べたわ!

    より正確には「食べたあと手は洗ったが口をゆすぐのを忘れていた」とかなんとかいうことだったが、なんにしてもどうみても立派な汚れの原因である。そこで王に手桶を用意させ口をゆすぐと、目の前に美しい妃が姿を現しましたとさ。

    …これはあれですか、食後は歯を磨きましょう、という訓話のつもりか何かで?

     こうして無事イヤリングをゲットした弟子。ところが帰り道、このイヤリングをずっと欲しがっていた竜王が現れ、まんまとイヤリングを奪って地底に逃げ込んでしまう。弟子はそれを追って地底世界に降りていき、竜王配下の竜たちを次々殺してついに竜王からイヤリングを奪還する…という冒険物語が唐突に挟まってくるのだが、筆者はその前の「あっ、そういや牛のフン食べたわ!」のインパクトに圧倒されたままだったのでドラゴン退治の話はあまりよく憶えていない。とにかく弟子はイヤリングを取り戻し、首尾よく師の元に帰還する。イヤリングを見た師は一言。

    「お前には満足した」


     …なんだろう、この一言すげーイラッとくるわ

     ちなみに弟子3の話はシンプルで、師の家で家事手伝いを延々こなして師を「満足」させたのだが、この弟子は独立後に弟子をとることがなかったという。理由は「師匠の言いつけをさんざんやらされる弟子のつらさが分かったから」。あまりにもまっとうな意見で同情したくなる一方、こんな批判めいた言葉が師の耳に届いたら苦行で燃やされるんじゃないかと気が気でない。


  5. バラモンの結婚
     もう一つ、インパクトのあるバラモンの逸話があったので紹介しておこう。

     あるところに高名なバラモンがいた。趣味は苦行で、あまりにも苦行にのめり込んでいたために結婚せずにおり、また結婚する気もなかった。
     ところがマハーバーラタの世界観だとそれでは困る人たちがいる。そのバラモンの先祖たちである。なんでも、子孫が続くことが先祖のあの世での安寧に繋がるのだそうで、結婚する気のない子孫がいると先祖はあの世でもがき苦しまなければならないのだとか。死後にまで罰ゲームの可能性を引きずっていかなければならないなんてずいぶんな世界観である。

     とにかく、苦しくなった先祖たちはバラモンの前に姿を現し、どうか我々のために結婚してくれ、と懇願する。強情なバラモンもさすがに先祖の言うことは断り切れず、「じゃあ、私と同じ名前の女がいたら結婚してもいいよ」などと子供っぽい条件をつけてみたり、「結婚はするけど、ちょっとでも気に入らないことがあったらすぐ離婚するよ」とまた傲慢な条件を出してみたりするが、先祖たちは喜んで条件通りの娘を見つけ出し、バラモンを結婚させることに成功する。

     さて、バラモンと結婚した妻は当然離婚に至る条件も聞かされているので、バラモンを怒らせないよう、怒らせないよう神経を張り詰めて日々を送っていた。が、ある日問題が発生する。夕方の苦行の時間が近づいたというのに、なんとバラモンは昼寝をしたまま起きてこないのだ。この苦行、日が沈んでからではできないので、もしこのままバラモンが寝腐っていて苦行ができなかったら…できなかったらどうなるのか分からないが、とにかく妻は迷った。夫を起こすべきか、起こさないべきか? 起こせば「昼寝の邪魔をしたな!」と激怒される恐れがある。しかし起こさなければ「苦行の時間に間に合うように起こさなかったな!」とキレられる可能性がある。さあ、怒らせないためにはどちらを選ぶべきか? 起こすべきか、起こさないべきか? さんざん迷った末、妻は夫を起こす方を選択する。そして、案の定キレられる。
     そのときのバラモンの言い草がひどい。

    「私が、いいかこの私がだぞ?(注:こんなに偉いこの私がだぞ?)
    この私が寝ているのだから、太陽だって苦行の時間が過ぎないよう歩みを止めるであろう。
    それを信じずに起こすとはなんと無礼なやつだ!」


     長い年月苦行に明け暮れてきた人物とは思えない、自己中で無茶苦茶な言いぐさである。「離婚だ離婚! 条件どおり離婚だ!」と怒り狂ったバラモンはさっさと離婚してしまう。これで高名なバラモンだというのだから、高名でないバラモンはどれほど腐っているのだろう
     本書には他にもちょっとしたことでバラモンの怒りを買った神がシュードラに転生させられる話とか、祖父だと思っていた男が実は父だったと知って怒り狂い世界の滅亡を謀るバラモンの話など、バラモンに関する小ネタに関しては枚挙にいとまがない。繰り返すようだが決してバラモンを怒らせてはいけない。下手をすると世界を滅ぼされる


  6. 登場! パーンダヴァ5兄弟
     こうしたトンデモバラモンの話題を経て、物語はいよいよその主人公たるパーンダヴァ5兄弟誕生の逸話へと向かう。が、その前に彼らの父親であるパーンドゥの逸話が待っている。ちなみに彼らはクシャトリア。いわゆる王族である。

     このパーンドゥ、ある日森で狩りをしていて、交尾の最中の雄鹿を弓で射殺した。ところがこの鹿、実はバラモンでした。バラモンともあろうものがまたずいぶんケッタイな遊戯にふけっていたものだが、自分がしていたことなど無造作に棚の上に放り上げ、瀕死の状態なのに激怒して、パーンドゥに「性交したら死ぬ」という呪いをかけて死ぬ。パーンドゥはクル族の王様なのだが、こんな呪いをかけられてしまったために子供をもうけることができなくなってしまった。王位を継ぐ者を産めない…ということよりも子供がいないと死後天界に登れないということを気にした王は、王妃に「私の代わりに神様との間に子を産んでくれ」と頼む。そうして生まれたのがパーンダヴァ(パーンドゥの息子という意味)5兄弟である。

    一人目は正義の神ダルマとの間の子、正義を重んじるユディティシラ!(どーん!)
    二人目は風神ヴァーユとの間の子、怪力無双のビーマ!(どどーん!)
    三人目は神々の王インドラとの間の子、最強の力を持つアルジュナ!(どどどーん!)


     あとの二人はもう一人の妃と双子の神との間に生まれた双子で、一人は博識、一人は美青年という設定だがいまいち影が薄いので憶えなくてもよい。そもそもパーンドゥの息子といいながら血も繋がっていないし、関係づけもやや強引な解釈がされていたりするがそんな些細なことはこの壮大な物語において気にしちゃいけない。とにかく主人公となる5人だけに、なかなか派手に登場してくる上、全員父親が神、という神性を持っていることを憶えておいてほしい。
     ところで鋭い方は上の紹介を読んでビーマとアルジュナの特徴かぶってね?と思われたかもしれないが、実際かぶっている。ビーマはその怪力をもって序盤は大活躍するのだが、戦場においては三男アルジュナの方がはるかに強いような描かれ方をしており、話が進むほどビーマの設定が陰っていく。やはり神の王たるインドラに対して、ほとんど話に出てこない風の神が父親では限界があったのだろうか。
     それと父親のパーンドゥだが、この後欲望を抑えきれずついつい性交してしまい呪いで死ぬ。バラモンがどこまでも祟る物語である

     
  7. 登場! ドゥルヨーダナ100兄弟
     一方、パーンダヴァ5兄弟の敵役となる100兄弟も同じ時期に生まれている。こちらはパーンドゥの兄、盲目のドリタラーシトラの息子たちで、つまりは5兄弟のいとこに当たる。その誕生の逸話とはこうだ。ある日ドリタラーシトラの妻が大きな石の塊を産んだ。ゴミだと思って捨てようとしたところ、偉いバラモンがやってきて「捨ててはいかん」と言い、この石を100回切った。するとそれぞれの破片が王子になりましたとさ。めでたしめでたし。

    パーンドゥ5兄弟に比べて生まれる経緯が雑すぎやしませんか?

     ちなみにインドといえばゼロを発明した国と言われ、その数学力の高さは最近でもたびたび話題に上がっているが、どうもマハーバーラタの時代からその傾向があったようだ。石を100回切ったらどうなるか。そう、破片は100個ではなく101個できてしまうのだ。著者はおそらく勢いで「100回切りました」と書いてから、すぐにそのことに気づいてしまったのだろう。で、どうしたかというと、こうした。100回切ったので、破片は101個できました。そのうち100個は王子になり、最後の1つは妹になりました。…どうでもええわ

     この100兄弟の長男、ドゥルヨーダナは性格が邪悪すぎて、5兄弟との間にしょっちゅうもめ事を起こす。もめ事というか、序盤からパーンダヴァ5兄弟を殺して代わりに王位につこうと画策するのだが、そのへんは長くなるので端折ろう。


  8. ガーンディーヴァの弓
     三男のアルジュナが一時期5兄弟と別行動をしていたときのこと。あるとき巨大な森で休んでいると火神アグニが現れ、「腹が減ったので、この森を全部食べたい(=焼き尽くしたい)。手伝ってくれ」と依頼してくる。アルジュナはこの依頼を引き受けてアグニが持つ最強の弓ガーンディーヴァを借り受け、後にアグニに協力した褒美にいつでもこの弓を呼び出せるようになるのだが、この弓を手にしたアルジュナがとにかく強い。強すぎる。どれくらい強いかというとインドラ率いる神の軍勢と一人で互角以上に渡り合えるほど強い。いやいやいや、いくらなんでも強すぎでしょ。このあたりからビーマの怪力設定が霞んでいくのだが、著者もずいぶん思い切ったチート武器を登場させたものである。


  9. クルクシェートラの戦い
     さて、5兄弟が100兄弟の陰湿な攻撃をしのぎきって王位につき、名声と財産を着実に得ていくと、それが面白くない100兄弟の長男ドゥルヨーダナは次なる作戦にうってでる。すなわち、「さいころ賭博を持ちかけて5兄弟から王国をだまし取ってやろう作戦」。こんなバカな作戦があるものかと思うのだが、5兄弟の長男ユディティシラが「クシャトリアたるもの、賭博であろうと挑戦されたら受けなければならない」とか言い出してこの賭けを受けてしまい、財産、王国、果ては兄弟から妻まで賭けて全部負ける。最終的に「国を出て13年間戻ってきてはいけない」という条件をつけられて兄弟と妻もろとも国から追放されてしまう。仕掛けたのはドゥルヨーダナで、後々そのことに世間の非難が集中するのだが、話の流れからしてユディティシラがアホすぎただけとしか思えない。作中の人物たちもユディティシラを非難することはあるものの、「でも一番悪いのはドゥルヨーダナだよね」ということで13年後、5兄弟は王国を取り戻すべく100兄弟に戦いを挑むのである。さまざまな部族があるものは5兄弟側に、あるものは100兄弟側について戦い、すさまじい規模の戦争になる。これがマハーバーラタのメインの戦争、クルクシェートラの戦いである。

     この戦い、その日の両陣営の陣形の説明から始まり、1日の戦いの様子を描写し…という流れを繰り返すのだが、この陣形の説明がたまに怪しい。例えば名前や人数は適当だが、こんな感じの説明がされるのだ。

    ドゥルヨーダナ軍は鶴の陣に構えた。
    右の翼は4000人の○○軍で構成され、誰々が指揮を執った。
    左の翼は3200人の△△族で構成され、誰々が指揮した。
    右足は5400人の□□軍からなり、誰々が指揮した。
    背中には1億人の兵士が陣を敷いた


     …背中の人数、明らかに桁がおかしくねえ? 他は詳細に記録に残っていたのに、背中の部分が不明だったんで適当に数字入れときました、みたいなノリである。こうなると他の細かい数字だって怪しく見えてくる。
     そして戦いそのものについてだが、本の中では次のような感じの描写が延々と続く。

    アルジュナは弓を引き絞り、強力な矢を98本射た。
    矢はアシュヴァッターマンの胸を貫通し、地上に大量の血が吸い込まれた。
    しかしアシュヴァッターマンは笑ってアルジュナに56本の矢を射た。
    矢はアルジュナの額に刺さり、アルジュナはキンシュカ樹のように輝いた。

     キンシュカ樹というのは赤だか金だかの色の葉をつける樹で、キンシュカ樹のように輝いたというのは要するに血が大量に噴き出たことの比喩なのだが、とにかくずっとこの調子なのである。問題は表現をみただけではその攻撃がダメージを与えたのか、たいして効いていないのか、あるいはクリティカルヒットなのか、実はミスなのかがさっぱり分からないのである。ひょっとしたら矢の本数がダメージに相当するのかもしれないが、2本ほど当たっただけで気絶したり死んだりするし、100本以上の矢が胸を貫通したのにすぐ反撃したりするし、とにかく文章だけで何かを判断するのはまず不可能。なのにドラクエの戦闘の文章をエフェクトなしでひたすら読まされるようなもので、これが延々続くさまはまさに苦行である。あまりにしつこいので途中からだいぶ読み飛ばしたが、もしがんばって全部読んでいたら苦行の成果でインドラくらい呼び出せたかもしれない

     戦闘の描写はこのようにうっとおしいことこの上ないのだが、内容的にはなかなか燃えるものがないではない。主なものを挙げるとこんな感じである。

    • パーンダヴァ5兄弟 vs 兄弟の祖父にして最強の戦士ビーシュマ
    • パーンダヴァ5兄弟 vs 彼らの武芸師範ドローナ
    • 5兄弟の三男アルジュナ vs 彼に匹敵する強者とされる戦士カルナ

     ところが、これらがことごとくツッコミがいのある結末へと向かっていくのである。順に追っていこう。


  10. 最強の祖父ビーシュマ
     両軍とも強い戦士を総大将に据えるのだが、100兄弟側の最初の総大将がこのビーシュマ。パーンダヴァ5兄弟の祖父にして、後々判明するのだが「戦で死ぬことはない」「死ぬ時を自分で選ぶことができる」というチートスキルを2つも備えた戦士である。彼との戦いは10日間に及ぶのだが、その間彼によって数千万単位で人が殺されていく。この時代にそんなに人間いたんだっけというツッコミは野暮である。

     なにしろ不死身に近いので5兄弟側は大苦戦を強いられる。戦闘開始から9日が過ぎ、どうしてもビーシュマを倒せない5兄弟側は夜中の軍議でああでもないこうでもないと意見を戦わせるのだが、どうにも打つ手が見つからない。と、ついにユディティシラがこんなことを言い始める。

    「どうだろう、どうやったら殺せるのか、
    祖父に直接聞きに行ってみようか


     いくら八方ふさがりの状況とはいえこれ以上の愚策を思いつけという方が難しい。孔明が聞いたらその進言をした者の首をはねなさいと即座に切り捨てていたと思うのだが、これに同調したのがクリシュナである。このクリシュナという男、ヴィシュヌ神という、シヴァと同一か同等レベルの超強力な神様の化身で、彼が本気を出すと体からパーンダヴァ5兄弟やドゥルヨーダナ100兄弟、果てはすべての神々を一度に出現させられるとかいう意味不明な技を繰り出せる。その状態で戦ったらどうなるのか、は描写されていないが、たぶん、まあ、強いんでしょ。で、あまりに強いので公平性を保つためこの戦争においては一方に肩入れしないと事前に明言しており、「戦闘行為は行わない」という条件の下、5兄弟側でアルジュナの戦車の御者を務めているのだが、扱いとしては実質、5兄弟軍の軍師である。その軍師がだ。

    「ユディティシラよ、それはよい思いつきだと思う


    などと言い出した時点でこいつら軍師の選択を間違えたなとしか思えないのだが、軍師がオッケーしてしまうものだから誰も止める者はいなくなり、彼らは闇夜に紛れて敵軍陣地に侵入し総大将と面会してしまうのである。なお、もっと信じがたいことだがビーシュマは自分を殺す方法を彼らに教える

    「自分は女には武器を向けないと誓っている。この「女」には「元は女であった者」も含まれる
    だからそのような者を先頭に立てて私を攻撃しなさい。私は反撃しないであろう」


     …なんでまたこんなまわりくどいんですかね。しかもこのときちょうど5人兄弟の軍には、元は女だったがとある悪魔と性別を交換して男になったシカンディンという人物がいる。彼女(彼?)の前世にもいろいろあって、実は彼女(彼?)がビーシュマを殺す者と前もって定められていたりするのだが、その予言を成就するためにしてもずいぶんまどろっこしい展開である。

     この戦いの意義にもともと疑問を感じており、またたくさんの兵士を殺した罪悪感もあり…と一応ビーシュマの行動にはそれなりの理由もあるのだが、とにかくこんな流れで翌日の戦いを迎え、シカンディンを先頭にして突っ込んできたアルジュナによって指2本分の隙間もないほど全身矢ダルマにされてしまうビーシュマ。そのまま戦車から転がり落ちるが、しかしまだ死なない。なにしろ彼には「いつ死ぬか」を自分で決められるというチートスキルがあるのだ。まあいっかー、そろそろ死んじゃおっかな、と思ったビーシュマだが、いざ死のうとしたとたん、全世界の動物や鳥たちがいっせいに非難の声を上げるのだ。

    「ええー? あのビーシュマともあろうものが今死んじゃうのー?
    そんなのおかしい ありえなーい!」


     これを聞いたビーシュマは「ん? なるほど確かに…」と考えを翻してしまう。細かいことは忘れたが、偉大な戦士たるもの太陽が北に向かっている間に死ぬのは情けないとかなんとか、よく分からないルールがあって、それを思い出したためらしい。こうして彼は戦場の片隅で全身びっしり矢を受けたまま横たわり、痛みをこらえつつ理想的な時が来るまであえて死なずに生き続けるというバラモンの苦行も真っ青な余生を過ごすのである。


  11. 最強の師匠ドローナ
     突然だが男性諸君、もし目の前で突然美女の服が風に吹かれて全部吹き飛んでしまったらいったいどうする?

    • 現実なら:そもそも服が飛んだりはしないが普通は慌てて目をそらすだろうか。
    • 漫画やラブコメアニメなら:見た者が鼻血を出す。場合によってはそのまま後ろに倒れる。
    • マハーバーラタ世界では:精液がほとばしり出る

     おいおい早すぎるだろ。しかしどういうわけか似たようなシーンが作中3回くらい出てくるのだ。たいていは美女側に何か思惑があって、風の神に頼んでわざと服を飛ばさせたりするのだが、そこからの過程はいつも一緒。風が吹く。服が飛ぶ。精液がほとばしり出る
     さて、とあるバラモンはこのようにしてほとばしり出た精液をもったいないと思って升に流し込んだ。そこから生まれたバラモンこそが5兄弟の武芸師範であるドローナであり、ドローナとは升という意味である。…ってなにこの微妙なエピソード
     しかし彼の強さは本物で、あらゆる武器を曲芸のように使いこなす。5兄弟のみならず100兄弟側にいる最強戦士カルナもこのドローナに師事しており、他にも多数の弟子がいて広く尊敬を集めている人物である。生まれはアレだが

     祖父ビーシュマの次に100兄弟軍の総大将になるのがこのドローナ師匠である。彼との戦いは7日ほど続く。例によって恐ろしく強いため、5兄弟軍側は多数の死者を出すが一向にドローナを倒すことができない。ビーシュマは肉親だったからユディティシラも「どうやったら殺せるのか教えてー」などと聞きに行けたがさすがに今回はそんな案も出せない。こんなときこそ軍師の出番である。体中から神々を湧き出させることができる男、最強軍師・クリシュナは、5兄弟にこんな策をさずけるのだ。

    「ドローナの息子、アシュヴァッターマンが殺されたとウソをつけばいい。
    息子を愛する彼のことだ、必ず戦意を喪失するであろう」


     …またずいぶんとゲスな作戦を持ち出したものである。5兄弟もさすがに「そいつぁ名案だ!」などと飛びついたりはしない。なにしろ5兄弟は神の子。特にユディティシラは正義の神の子である。こんな卑劣な手段をおいそれと採用したら沽券に関わるというものだ。
     しかし戦況は泥沼化するばかり。ドローナを倒さないことには犠牲者が増える一方である。ちなみにドローナの息子アシュヴァッターマンもこれまた超強力な戦士で、今日も元気に5兄弟軍の兵士を殺しまくっており、こっちを倒すのも師匠並みに難しいときている。

     仕方なく、5兄弟はアシュヴァッターマンがドローナから遠く離れている隙を見計らってクリシュナの作戦を実行に移す。しかしなるべく嘘をつきたくないものだから、ビーマはアシュヴァッターマンという名前の象を殺してから「アシュヴァッターマンが殺された!」と叫び始める。これまたセコい手だが始めてしまったものは最後までやるしかない。アルジュナも「アシュヴァッターマンが殺された!」と触れてまわる。ユディティシラも続くようにビーマに催促されるが、正義の神の息子である彼は嘘がつけないのでしどろもどろに。やがてこの噂を聞きつけたドローナだがさすがは師匠、「これは敵軍の嘘情報ではないだろうか」と考え、「そうだ、嘘のつけないユディティシラに聞こう。そうすれば真相が分かるはずだ」と思いつく。この頭のキレ、どこかの軍師と取りかえっこしたいところだ

     戦闘中にも関わらずあっさりユディティシラのいるところまで来たドローナは、真相について彼に尋ねる。さあ困った。しかしいまさら「うそぴょーん」とも言えないユディティシラ、問い詰められてさんざん迷った末、ドローナから目をそらしたまま、小声でぼそっと「…(象が)殺された」と呟く。それを聞いて「本当だったのか…」と戦意を喪失したドローナは、その場で5兄弟軍の総大将に討ち取られてしまうのである。

     後味の悪い思いをしている5兄弟をよそに、一人「よくやった!」などと大喜びする軍師クリシュナ。彼は神の化身との触れ込みだが、もはや邪神の化身と呼ぶ方がふさわしい


  12. 衝撃のリアル展開
     ビーシュマが死にドローナが死に、次に総大将となったのはアルジュナに匹敵する弓の名手と言われる戦士カルナ。しかしここに至るまでの話の中で、どうも彼の強さはピンとこない。彼は登場以来事あるごとに「おれはアルジュナより強い!」と吹聴しているのだが、初めて戦場でアルジュナと戦ったときはあっさり気絶させられているし、ドゥルヨーダナが悪魔と戦って捕らわれたときも真っ先に戦場から逃げ出している。ビッグマウス臭の漂う男である。

     しかしこの戦争においては、彼は実は最強の槍を持っている。この槍、インドラとの契約で手に入れた、一度だけ狙った敵を必ず殺すというトンデモ兵器である。これを投げつけられでもしたら、いくらアルジュナといえど命はない。さあ、この戦いどうなるか…と少々わくわくしてきたところで、唐突に最終巻が終わってしまった

     えっ?

     ええっ!?

     なんと、あとがきによると、ここまで訳したところで原典訳の訳者が亡くなってしまったらしい。彼の仕事を引き継ぐ者もおらず、とにかく訳されたところまで出版しよう、ということで出てきたのがこの原典訳なのだそうで、ここまででまだマハーバーラタのだいたい2/3らしい。訳者のご冥福を祈りつつも呆然とする筆者。そう、原典訳を読破できなかった理由は、そもそも最後まで存在しなかったためなのである。最初から知っていたら読み始めたかどうか…。

     しかし続きが気になるので「原典訳の続きが出るまで待ってやる」などということはせず、別の訳書を頼って続きを読み始めたのであった。


  13. カルナと槍と車輪と
     えーと何の話だったっけ。ああ、カルナの最強の槍ね。うん、あれね。アルジュナ以外のキャラを倒すのに使われて終了しましたよ
     なんとカルナは5兄弟に味方していた幻術使いの悪魔相手に、あっさりこの最強の槍を使ってしまったのである。なんてもったいない。筆者はこの展開に唖然とした。だがもっと唖然としたのは軍師クリシュナのこのセリフだ。

    「どうだ、あの槍をカルナに使わせてやったぞ!
    そのために悪魔をあいつに差し向けたのだ! あれは私の作戦だったのだ!」


    そんな作戦聞いた覚えがないのだが…今までの経緯を考えてもヘッポコ軍師がなんか吠えてるくらいにしか聞こえなかった。

     とにかくもう最強の槍はない。おまけにアルジュナには最強の弓ガーンディーヴァがある。どう考えてもカルナが不利…なのだが総大将になった責任感が彼を強くしたとでもいうのか、カルナはなかなかの善戦っぷりを見せてくれる。アルジュナと互角に戦い、なかなか決着がつかない。焦るアルジュナ。と、なんとこのタイミングでカルナが乗る戦車の車輪が地面の溝にはまってしまい、カルナは戦車から地面に転げ落ちてしまうのである。武人たるもの、このような事故に遭った相手を攻撃するなど恥ずべき行為…なのだがここでアルジュナをけしかけるのはもちろんアイツである。

    「いまだアルジュナ! カルナを倒せ!
    今が最大のチャンスだ何迷ってるんだためらうんじゃない!」


    そう、我らがヘッポコ軍師、卑劣な作戦が大好きなクリシュナ先生である。彼にさんざん焚きつけられ、「戦車を立て直すまで待ってくれ」というカルナの懇願も無視して、アルジュナはカルナの首を矢で射落とす。憮然とした様子のアルジュナとは対照的に、勝った勝ったと大喜びのクリシュナ。こいつのおかげでだんだん話がおかしな感じになっていっているのは気のせいではあるまい。


  14. 戦争終了
     そんなこんなで次々総大将を失っていったドゥルヨーダナ軍。最後はドゥルヨーダナとビーマのこん棒を使った一騎打ちとなるのだが、なんとドゥルヨーダナの方が優位に戦いを進めるのだ。ビーマの怪力設定はここに至ってすっかりどこかへ消し飛んでしまった感がある。が、またしても軍師クリシュナの「下半身を狙え!」という反則攻撃指示が飛び出して、ビーマがどうにか勝ちを収める。敵将は死に、戦争は終わった。しかし5兄弟軍は勝ったとはいえ、怪力無双のビーマだの神々相手に一人で戦えるアルジュナだのとさんざん強さアピールが繰り返された割には、軍師クリシュナのたびかさなる反則作戦でかろうじて勝った感が拭えずなんとも後味が悪い。

     ともかく、5兄弟は国を取り戻した。が、肉親や師匠をはじめたくさんの犠牲者を出したことですっかりしょげてしまったユディティシラは、「もう王様やりたくない。死んで天界に昇るんだ」とすっかり鬱モード。それでは困ると周りが説得するがまったく聞き入れようとしない。そこで高名なバラモンたちが集まって、ユディティシラに進言する。悩みがあるなら彼に相談してみてはどうか。彼ならきっと力になってくれるだろう、と。

     彼とは誰か? 読者もそろそろ忘れているだろうが、いまだ戦場の片隅に矢ダルマになって転がっているあの人のことである


  15. 祖父との対話
     まさかこの流れで彼が再び物語の中心に躍り出てくるとは思わなかった。そう、5兄弟の祖父にして2つのチートスキルの持ち主、ビーシュマである。
     彼はいまだに矢に覆われたまま戦場に横たわり痛みに耐えていたのだが、そこへバラモンたちから説得されたユディティシラがやってくる。話をしようにも激痛でそれどころではないビーシュマに対し、クリシュナがなにやら魔法をかけると…あーら不思議、痛みは消えて頭もすっきり、どんな質問にでも答えられる状態に。クリシュナよ、その力もう少し別のところで発揮できなかったのかい?

     クルクシェートラの戦いも本にして3冊分くらいの長さがあったが、ここからのユディティシラと祖父との対話もまたうんざりするほど長い。物語内の時間にしてなんと3日。新たに手にした訳本で丸々1冊分はあったので、もし原典訳だったらどれくらいの長さになっていただろう。
     おまけに内容がひどい。最初のうちこそ

    「私は戦争で多くの仲間を失いました。もう生きる望みがありません」
    「それは違うぞユディティシラよ」


    などと悲嘆に暮れる王を祖父がなぐさめ力づける会話が続くのだが、だんだんとユディティシラが冷静さを取り戻したのか、それともむしろ冷静さを失っていったのか分からないが

    「祖父よ、国の治め方で分からないことがあります。こんな場合は王としてはどうすれば…」
    「それはなユディティシラよ」


    と王としての政治の仕方について教えを乞うてみたり、

    「異なるカーストの間では結婚が禁じられていますが、もし結婚するとどうなるのでしょう」
    「それはなユディティシラよ」


    と宗教絡みの質問をしてみたり、

    「なるほど、では異なるカースト間で結婚した場合の、15の特殊な呼び名について詳しく教えてください」
    「それはなユディティシラよ」


    と法律のやたら細かいことまで聞き始めたりと、ユディティシラの質問がどんどん暴走していく。その様はまるで子供電話相談室である。いくらクリシュナの力で痛みを軽減されているとはいえ、全身隙間なく矢を射こまれた祖父を前にしてよくもまあこんな話を延々とできたものだ。
     あげくにこんな質問まで飛び出す。

    「性交のとき、男と女とではどちらがより気持ちいいのでしょうか」


    …えっとー、ユディティシラさん、アホなの?

    「それはなユディティシラよ」


    じいさんも答えてんじゃないよ

     ちなみにこの質問の答えとして、ビーシュマはとある逸話を持ち出している。細かい話は忘れたがおおよそこんな話だ。あるところに王がいたが、悪魔の怒りを買ってしまい女に変身させられた。王には妻も子供もいたが、女になってしまったため、よその王の后になることにした。それから12年が過ぎ、怒りがようやく収まった悪魔は、王に「男に戻りたいか、それとも女のままがよいか」と尋ねた。王は少し考えた末、女のままがいいと答えた――。ビーシュマはここまで話し終えると、ユディティシラにこう言って答えを締めくくった。

    「つまり…わかるな?


    ……文面には書かれていないが、ビーシュマがこう答えて得意げににやりとしたことは容易に想像がつく。さっさと死ぬがいいエロじじい

     このやたら長い問答も後半は法律や宗教上のどーでもいい細かい話ばかりだったので適当に読み飛ばした。物語内の時間で3日後にビーシュマはついに往生するが、死ぬ間際にこんな孫に絡まれるとは、ずいぶんとお疲れさまなことである。



  16.  瀕死の祖父にイカれた質問をしまくって満足したのか、ユディティシラは元気を取り戻し、無事王位に就く。しばらくは平和な日々が続く…が、王座を取り戻すまでに12年流浪するだの、13年追放されたままだのと結構な時間が過ぎており、さしもの英雄たちもすでにそれなりの歳である。そこから30年くらい王位にあったようだが、最終的には80から90歳くらいだっただろうか。

     あるとき人々が山賊に襲われたという話を聞いて「ガーンディーヴァの弓であっという間に片づけてきますよ」とはりきって出かけていったアルジュナは、いくら呼んでも弓が現れず、年齢による力の衰えのためだと知って愕然とする。すっかりしょげてしまった彼が帰って兄弟たちにそのことを話すと、しょげた空気があっという間に兄弟間に伝わって「おれらももうだめだ…天界に行くしかない…」とすっかり投げやりムードに。マハーバーラタの世界観では、ある程度働いて年を取ったら森に隠棲し、静かな生活を送ることで天界に至る、というのが理想的な人生であるようで、んじゃ兄弟揃って王位から降りて天界を目指そうか、とあっさり決めて5兄弟と妻は粗衣をまとって王国を後にするのである。

     5兄弟と妻(書いていなかったがこの妻、5兄弟に共通の妻なので出奔したのは計6人である)が歩いていると、途中で一匹の犬がついてきた。メンバーに一人も犬嫌いがいなかったようで誰も追い払ったりしなかったので、6人と1匹はそのまま歩き続ける。

     しかし道中、メンバーは一人、また一人と倒れていく。彼らは天界に向かうべく旅をしているわけで、それが途中で倒れるということは天界に行けない理由がある、つまり天界に行く資格がない、ということらしい。一人倒れるたびにビーマが「おお、なぜ彼が倒れるのだ。彼はあれほど力があり優れた人だったのに」などと疑問を口にし、そのたびにユディティシラが「アルジュナはガーンディーヴァの弓があれば自分が世界で最強だと思っていた。そのうぬぼれによって倒れたのだ」とか、「妻は5人の夫全員を公平に愛すると口では言っていたが、実はアルジュナが一番好きだったから倒れたのだ」などと「え、たったそれだけの理由で天界に行けなくなるの?」と思わざるを得ない小さな痂疲を挙げ、当然のように兄弟たちの死体を置き去りにしてどんどん歩いていく。ユディティシラは一向に倒れる気配もないのだが、瀕死の祖父に「ねーねーどっちが気持ちいいの?」とか聞く人間こそ真っ先に倒れるにふさわしいと思うのは私だけだろうか。

     ついにはビーマも倒れ、ユディティシラはただ一人、例の犬だけ連れて最終目的地である神の山までたどり着く。そこへ神々が姿を現し、しごく当然な質問をユディティシラに投げる。

    「なぜおまえはそのようなみすぼらしい犬を連れてきたのだ。兄弟たちの死体は置き去りにしたのに」


    実にまっとうな質問だと思うが、ユディティシラは肩をすくめて答える。

    「兄弟たちとはいえ、死んでしまえば生きている犬の方が大事だ


    …正論かもしれないが、これが正義の神の子のセリフだろうかと疑問を感じる冷たさである。

    「よかろう、おまえには天界に上がる資格がある。だがそのみすぼらしい犬は捨ててきなさい」


     犬といっても大事に飼っていたペットなどではなく、たまたま途中からついてきただけの野良犬なのでこれまたまっとうな要求だと思うが、ユディティシラは断固拒否。「犬も一緒じゃなきゃ天界には行かない」などとひたすらごねる。ここに来て急に無類の犬好きにでもなったのだろうか。しまいには神々がぞろぞろ現れ、偉いバラモンたちも出てきて次々説得を試みるが、とにかく何と言われようと犬を手放そうとしないユディティシラ。

     するとどうだろう、突然犬の姿が消え、神の一人となってすっくと立ったではないか。その神はユディティシラを見下ろし、鷹揚にうなずいて一言。

    「お前には満足した」


    すっかり忘れていたこの一言で締めてくるとは。最後まで上から目線のお話であった


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