元・将棋指し


 夜の埋立地。あたりはがらんとしている。建設中の建物の影が不気味にそびえる。
 そこに男が二人。月の光が冴えわたる。
「ふっ、ふはははは」
 スーツ姿のがらの悪い男が笑う。
「なあ若いの、あんた、元将棋指しらしいな。探偵なんかにくらがえしたのは間違いだったろう、ええ? いやまてよ、この程度の罠にひっかかるようじゃ、将棋指しもやってられんか。なあ」
 スーツの男の笑いが響く。
 対するは浴衣姿の若い男。彼は懐手をして余裕の構え。
「将棋指しは先を読むもの。これくらいは読んでいたさ」
「負け惜しみか? …まあいい。どちらにしろ、秘密を見られたからには消えてもらわなきゃならん。悪く思うな、若いの」
 そういうと、スーツの懐から銃を取り出し、浴衣の男に狙いをつけた。
 かちり。虚しいこだまが闇をうつ。
「言っただろう。これくらいは読んでいたと」探偵はたばこを取り出し、火をつけた。「こんなこともあろうかと、すきをみて弾を抜いておいたのさ。白石、おまえはおれには勝てないよ」
「い、いつのまに…」
 ひるんだかに見えた白石、しかし不敵な笑みを浮かべていう。
「甘いな。おまえはもうここから出ていくことはできんのだ。おまえはとっくに罠のなかなんだよ」
 ぱちっ、と指を鳴らす。二人の男を取り囲むように、黒服の男たちがぬっと闇から現れる。手に手に銃を構えている。
「やれ」
 男たちはいっせいに引金を引いた。しかし何も起こらない。探偵は平然としている。
「それも読んでいた。きのうのうちに、ちょいと細工をしておいたのさ」
「な、なにぃ…」
 白石はうなったが、
「構わねえ。やろうども、かかれっ!」
 男たちは探偵に襲いかかり…と思われたが、逆に逃げるようにどこかへ去ってしまった。
「細工をしたと言っただろう」と探偵。「やつらはもう、あんたの手下を辞めるとさ」
「くそっ!」
 白石はポケットから小さな箱を取り出し、くっくっと笑った。
「なあ若いの、勝ったと思うのはちいとばかりはやかったな。おれがこのボタンを押せば、おまえさんはばらばらに砕け散ることになるんだぜ」
 白石は楽しそうに、箱のボタンを押した。
 ぷちっ。だが何も起こらない。
「読んでいた」探偵はあくびをした。「わたしの煙草入れに小型爆弾を仕掛けたんだな。よくできていたが、すでにお見通しだった」
「このやろう…」
 白石はふいにかがんで、足元のロープをひっつかんだ。
「しねっ」
 思いきりロープを引っ張る。ずぼっと大きな音をたて、白石の足元に穴が空いた。白石の姿が見えなくなった。
「読んでいた」探偵は敷き物をとりだして広げた。「もとの穴はまえもって埋めておいた。かわりの穴は掘ったがな」それから、とつけたす。「安心しろ、白石。その穴には毒蛇なんていやしない」
「な、なめるなっ!」
 白石は穴から這い上がり、無線機を取り出した。
「おまえたち、出番だ。すぐ飛んで来い!」
「無駄だ」探偵は敷き物にごろりと横になった。「そんなこともあろうかと、ヘリコプターは壊させてもらった。直すのに三日はかかるだろう」
「ばかなーっ!」
 白石は懐からてりゅうだんを取り出し、ピンを引き抜いて投げた。ところがいつまでたっても爆発しない。
「無駄だ」探偵は”月下の棋士”をとって読み始めた。「そんなこともあろうかと、そいつはおもちゃと取り替えておいた」
「なぜだーっ!」
 白石はスーツを脱ぎ捨て、しょっていたダイナマイトに点火し投げた。それはどさりと地面に転がった。
「無駄だ」探偵は缶ジュースのプルタブを引いた。「そんなこともあろうかと、火薬を砂に変えておいた」
「うそだーっ!」
 白石は探偵に背を向けて走りだし、車に乗って発車しようとした。
「無駄だ」探偵はジュースを飲んだ。「そんなこともあろうかと、ガソリンは抜いておいた」
「いつだーっ!」
「無駄だ。靴底のナイフならまえもって外しておいた」
「そんなーっ!」
「無駄だ。おまえの奥歯の毒薬ならシロップに変えておいた」
「いやだーっ!」
「無駄だ。そのパチンコのゴムはひもに変えておいた」
「無駄だ。おまえの腕はあらかじめ折っておいた」
「無駄だ。週末のゴルフならキャンセルしておいた」
……
……

不終。


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