おちむー



 彼については「おちむー」とあだ名で呼ばせていただく。これはすなわち「落ち○者」に似ている、という私の偏見による命名なのだが、いつのまにか知らない人までがこのあだ名を使いだしたのにはさすがに驚いた。
 彼には微分積分学の深遠をかいま見させていただいた。彼が教室に入ってくると、 その身から発せられるオーラがわれわれを煙にまいたものである。彼の講義は やや哲学めいた面をもっていて、ほかの先生方の講義とは違った雰囲気を醸していた。さっそく彼の伝説を紹介しよう。
 その1、タバコの香り。彼にとってタバコは生活に欠かせないものであるらしい。 なにしろ生徒に対しても、授業中の喫煙、飲食を許可していたほどである。 講義の途中で一服したくなると、彼はまずわれわれに難解なる一問を出題する。 われわれが頭をひねっている隙に、彼は窓際に椅子を用意しておもむろに窓を開け、外の空気を味わいながら タバコにそっと火をつける。そろそろ沈もうとしている太陽をバックに、憂い顔の落ち○者 がタバコをくゆらす―― 本来なら絵になる場面だが、風によって彼の顔にタバコの 煙が吹きかかるのは誰にも止められなかった。
 その2、カルテット。彼は教室に入ってくるなり、突然こう切り出すことがよくあった。

「東京ギターカルテットが……」

なんのことだ。われわれはこの不意うちにのけぞったものである。詳しくは憶えて いないが、彼はこの団体と知合いだか友達だか……とにかく頻繁にこの話題に流れた。東京ギターカルテット……てっきり彼の妄想だと思っていたのだが、ある日なにげなくホームページで 検索したら、この団体は実在していた。
 その3、発言。午後のあまりの心地よさに誰もが眠りにつこうとする頃、彼はまたも われわれに奇襲をかけた。

「お礼参りをしないと……」

突然何の話かと思えば、引越しの際に悪霊ばらいをしないと後々大変だとかどうとか。彼の性質上、 自らどこかに殴り込みをかけようとしていると思われてもいっこうに 不思議はなかった(&われわれは半分以上確信していた)。
 その4、哲学者ぶり。知識が豊富である彼は、講義に哲学を持ち込むことで自らの満足を得ていた。ある日彼は生徒に対し、おもむろにこう問いかけた。

「ユークリッドの幾何学では、
空間の任意の2点を結んで直線がひける、と定めていますが……
それでいいんですか!?」

いいと思うが。



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