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喫茶店には特別な空気がある。 探偵、空洞寺権助は喫茶「檸檬」を前にしてそう思った。テーブルを挟み、ときには相手を見つめ、ときには目をそらしたままで、人々は何を思い何を語るのか。喜び、悲しみ、愁い、出会い、そして別れ。しかし人々はそこにとどまることなく、外の世界へと出かけていく。彼らが戻ることはあるだろうか? それはおそらく、あり得ない。人は変化し続けるからだ。 空洞寺は扉を開け、店の中に入った。ドアベルが軽い音をたてた。 こじんまりとした店内は清潔である。くもりのないガラス窓やつややかなテーブルの表面に、店の主人の心遣いが表れている。気持ちのいい店だ。空洞寺は素直にそう思った。 見回す必要などなかった。彼はひと目でその人を見つけた。 彼女は窓から外を見ていた。彼女の席からは外の通りがよく見える。彼女の前にはコーヒーカップ。だが湯気はたっていない。 服装は白いワンピース。長い髪を肩にゆるく垂らし、指をそろえてひざに置いている。きゃしゃな身体をぴんと伸ばし、姿勢よく椅子に腰かけている。 すじの通った鼻。切れ長の目。瞳の色はわずかに茶色がかっている。 手紙にあったとおりの特徴。 依頼人、永井優。空洞寺は彼女に近づいた。 「何か見えますか」 空洞寺は彼女の向かいの席に座り、そう声をかけた。彼女はびくっとして振り返った。 「あ、あなたは……」 「ええ、空洞寺です。大丈夫。心配することはありません」 空洞寺は指をならし、ウェイトレスを呼んだ。注文はコーヒーのブラックを2つ。ブラックは空洞寺の好みではないが、テーブルの上で冷めきっているコーヒーはブラックだという確信があった。 空洞寺は手を組み合わせ、彼女のほうを向いた。 「手紙に依頼内容を書かない人はたくさんいます。ほとんどといっていい。皆さん心になんらかの傷を負ったからなのでしょう。私はその傷を癒すためにこの仕事をしています。……はは、ちょっとキザでしたね」 それから真面目な顔になった。 「私は、あなたのお力になれると思います。ですが、それには永井さん、あなたが私を信じてくれなくてはなりません。おわかりですね」 彼女はぼんやりと、しかし確かにうなずいた。 「そう。あなたはおわかりだ。しかし焦る必要なんてないんです。私はこの仕事をもうずいぶん続けている。あなたが私を信じようとしてくれるなら、そのとき私はあなたの依頼を受けましょう――」 「あの……」 彼女は遮るように早口にいった。 「はい?」 空洞寺は相手の言葉を待った。彼女はわずかにためらい、言った。 「お話はよくわかります。わかると思います。でも……でも私……永井という名前じゃないんですけど」 「は?」 彼が問い返そうとした時、後ろから肩をたたくものがあった。空洞寺は寒気を感じながら、のろのろとそちらを向いた。 白いワンピース。長い髪は肩に届き、ひどく姿勢がいい。 まっすぐな鼻。妙に横長の目。その瞳の色は茶色っぽい。 手紙にあったとおりの特徴。 「あの、私なんです。永井優は……」 ながいまさる、そう名乗ったその男は、空洞寺ににったりと笑いかけた。 続く
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