ホーム > ナンセンス > 警部・銀俵 > 第5話 銀俵の殺人事件 |
照りつける日差しがアスファルトを焼いていた。ここ数日の熱波と強烈な日差しのせいで、熱中症で倒れる人が各地で急増しているという。ほら、そこの道端にも男が倒れている。熱中症にやられたのだろう、真っ青な顔にべっとり脂汗を浮かべ、口を半開きにし、白目をむいたまま仰向けに転がっている姿はまるで死人のようだ。 銀俵(ぎんだわら)警部だった。 「うわっ警部! 銀俵警部っ!」 安安藤(やすあんどう)刑事はあわてて駆け寄った。銀俵の肩をがくがくと揺さぶる。 「……んはっ!?」 「ああよかった! まだ生きてるんですね」 「失敬な。寝ていただけだ」 「でもひどい顔色ですよ。どこか悪いのでは?」 「うむ、おとといやっと日の下に出てきたばかりだからな。睡眠不足に栄養不足、原因はいくらでも考えられる」 「休んでいた方がいいのでは?」 「だから休んでいたんじゃないか」 「ああいえ、もっと涼しいところで」 「職場復帰したばかりだからな。そうそう休んでもいられんのだ。なにしろヒーロー。そう。私はヒーロー……」 「もうろうとしてるじゃないですか。……あ」 安安藤はパチンと手をたたいた。 「そうでした、警部に戻れたんでしたね。おめでとうございます」 「ふっ、当たり前の姿に戻ったまでだ」 「しかしずいぶん痩せましたね。それに肌も不気味なくらい真っ白で」 「2ヶ月も閉じ込められていたからな。ほれ、久々に日に当たったおかげで肌が赤くはれ上がっている」 「平気な顔して言わないでください」 「おお、そうだ思い出した。おまえにいいものをやろうと思っていたんだ」 銀俵は唐突に起き上がると、足元のダンボール箱からキュウリを取り出した。 「なんですかそのキュウリは」 「昨日田舎から送られてきたんだ。無農薬野菜だ。ちょっと食ってみろ」 「しかし今は仕事中……」 「いいから食え」 安安藤は手渡されたキュウリを勢いよくかじった。 「……」 「……どうだ、無農薬野菜はひと味違うだろう」 「なんだか農薬の味がしますが」 「ああ、たまにあるんだ。きっと洗い忘れたんだろう」 二人が騒いでいるところへ、御鎚(みづち)警部がやってきた。じろりと銀俵をにらみつける。 「やあ銀俵。よく復帰してくれたな。じつに喜ばしいことだ」 「やあ御鎚。キュウリ食うか?」 「いらん。それに勤務中だぞ。安安藤にも無理やり食わせていたな。どうゆうことだ」 「それは誤解だ。安安藤が食べたいというから渡したんだ。そうだな安安藤?」 「は、はあ」 (もっと本当っぽく返事しろ) 「何を小声で指示している。安安藤、ウソはつかんでいい。銀俵、嘘をついても、私は事実を知っているのだ」 「そうか……それで今回のヤマとの関係は?」 「強引に話をそらすな。……まあいい。安安藤、あとでおまえが説明してやれ」 「わかりました」 「ではあとは頼む。私は別のヤマを担当することになったから、これで失礼する」 「忙しそうだな。せいぜいがんばってくれや御鎚くん」 しばし睨み合う銀俵と御鎚。御鎚の目は雄弁に語っていた。 (ふん、『吾郷里(あごうり)連続殺人事件』を解決したのがおまえでないことくらい、お見通しだ。いつまでも悪運が続くと思うな。必ず化けの皮を剥いでやるからな、無能者め) 銀俵の目も雄弁に語っていた。 (今晩のおかずはキュウリで決定だな。味噌汁の具はワカメにしよう) 御鎚警部が行ってしまうと、銀俵はにやりと笑って安安藤に言った。 「ワカメにした」 「は?」 「いいから事件について聞かせてくれ」 「任せてください。今回もたっぷり情報を仕入れてありますから」 安安藤は胸ポケットからトランシーバーを取り出し、何やら指示した。するとどこからか大型トラックがやってきた。 安安藤が荷台のコンテナの扉を開ける。中にはファイルがぎっしり詰まっていた。 「ええと、今回のヤマは……あったあった」 「どうしたんだこのファイルの山は」 「このところ犯罪が急増してまして。まったく、情報収集する立場にもなってほしいものです」 「集めすぎだと思うが」 安安藤は身の丈ほどもあるファイルをめくった。 「ええと……今回のヤマについて何をご存知ですか?」 「何も知らん」 「威勢がいいですね」 「何しろ閉じ込められていたものでな。……ああ、いかん。あの頃のことは思い出したくない……」 「すさまじい生活を彷彿とさせますね。……じゃあ最初からお話します。何しろ手ごわいヤマです。御鎚さんもかなり焦っているようです」 「なに御鎚がか。ふっ、所詮やつは八谷署きっての切れ者だからな。ああまで切れてはおしまいだな」 「切れ者の意味を勘違いしてる気がしますが……ええと、事件があったのはすぐそこの、ほら」 安安藤は前方50メートルほどのところにある小さなログハウスを指差した。 「ガイシャは44歳の登山家、タンジェント荏原こと石井みちを」 「あの有名人か」 「ええ、事件がおおやけにされてから新聞もテレビも大騒ぎです。って新聞も読んでなかったんですか?」 「新聞どころかまともな食事さえできなかった……」 「すいませんもう聞きません。……ガイシャの死因は毒物――青酸カリです。死亡推定時刻は4日前の晩、午前1時前後。発見者は彼の友人5名です。八甲田山に登る約束があったので朝5時にガイシャの家に迎えにいったところ、床に倒れているガイシャを発見したとのことです」 「その5人が怪しいな」 「いちおう調べましたが、全員カンペキなアリバイがありますよ。それより気になるのは、ガイシャは被害に遭った晩にログハウスで誰かと会っていたらしいことです。テーブルにビールの入ったコップが2つ置いてあったんです」 「指紋は?」 「出ませんでした。拭き取られたのでしょう。片方のコップから青酸カリが検出されただけです。家中調べましたが指紋も何も出てません」 「あのログハウスだな。周りは空き地か。……待てよ、4日前といえば雨が降っていなかったか?」 「よく憶えてますね」 「大雨だったからな。家の周りに足跡が残ってはいなかったか?」 「問題はそれなんです。もちろんそれは調べたんですが、不思議なことに、家の周囲にはガイシャと友人5人の足跡しか残っていないんです。犯行時刻から遺体発見までの4時間のうちに犯人は逃げたはずなんですが、肝心の足跡が残っていない」 「屋内に隠れていたかもしれんぞ」 「それはありません。くまなく捜索しましたから」 「もしかするとガイシャの靴を履いて出て行ったかもしれん」 「あれ、なんだか今日はいつにもまして冴えてますね」 「無農薬キュウリのおかげかもしれんな。もう5、6本食べておこう」 「でもガイシャの靴は使われてませんよ。ほら、タンジェント荏原といえば街中でも登山靴を履いてるって変わった人ですよね。彼は5足の登山靴しか持っていないんですが、全部家にあるんです。誰も持ち出してはいない」 「ふっ、しかし安安藤、おまえこそずいぶん刑事らしくなってきたじゃないか」 「ありがとうございます。これも銀俵警部のおかげです」 「おだてても何も出んぞ」 二人はなんとなく見つめあった。 「……ぽっ」 「なんだその『ぽっ』というのは。私をそんな目で見るな。おい、はにかむのはよせ。キモチワルイ」 「キモチワルイってカタカナで書くと余計に気持ち悪いですね」 「とにかく……たしかに難しい事件のようだな」 「正直手詰まりです。今はガイシャの人間関係を洗ってますが、恨んでいる人間がいるようないないような、そこからしてさっぱりで」 「とにかく現場を見てみたい。そして解決してみたい」 「素直だあ」 「とにかく行くぞ安安藤!」 「がってんです!」 二人は並んでログハウスに向かった。 たった50メートル離れたログハウスまで歩いただけで、銀俵はひどく息切れした。 「ぜぇぇーぜぇぇー」 「なんだかやばい呼吸音ですね。ほんとに大丈夫ですか?」 「ああ、なんだかこの家を見ると気分が悪くなる。胃がむかむかする。眩暈がする。腹がよじれる」 「腹がよじれるのはキュウリのせいでは……」 室内にはテーブルが1つ、椅子が4つ、壁には登山グッズ各種、巨大な鳩時計。 「あの鳩時計が怪しいな。おいあれは調べたか?」 「調べたかって……まあひととおりは」 「おい、さっきの褒め言葉は撤回だ。おまえはぐずだ。とほうもないぐずで刑事ではない」 「ひどい言われようです」 「よく見てみたまえあの時計を。その文字盤を」 「ええと……あっ、数字の位置が変ですね」 「時計のくせに反時計回りに数字が振ってあるだろう。秒針も普通とは逆回りだ。おまけに3時になると鳩が9回鳴く。特注品だな」 「詳しいですね。……あれ? なんで鳩が鳴く回数までわかったんです? まだ3時15分前なのに」 「そんな気がしたんだ。……ええと、キュウリ、キュウリはどこにいったかな」 「依存症が出始めてませんか、そのキュウリ」 銀俵は一通り家の中を調べた。 「何かがおかしい……何かが違う」 「この家のことですか?」 「いや私の体がだ」 「警部、そのキュウリやめたほうがいいのでは……」 「家のほうもおかしい。あるべきものがない。そうは思わないか安安藤」 「なんでしょう」 「ガイシャは登山家だ。なのにこの家には登山家なら必ず持っているあるものが欠落している。よく見てみろ。壁にかかっているのは50リットルサイズのリュックサックに、ピッケル、登山用ジャケット――」 「あっ、わかった。ザイルがありませんね」 「チョコレートがないんだ」 「……」 「あ、今おまえチョコレートをバカにしたな。チョコレートは非常食としてきわめて有効なのだぞ。糖分が多く含まれ、消化されやすく、原料はおもにカカオを使用し、原産は……」 (……いつもの警部じゃない。きっとキュウリのせいだな) 銀俵は安安藤を無視して家中を歩き回った。 「なるほど、犯人が隠れられるようなスペースはないな。風呂はおろかトイレすらない」 「部屋はこの部屋だけですからね」 「しかし怪しいのはあの天窓だ。ほれ、窓の端に布の切れ端が挟まっているのが見えるだろう」 「見えませんよ、あんな高くちゃ……4メートルはあるじゃないですか」 「目の鍛え方が甘いのだ。私を見習って鍛えるがよい。やるなら夜だ」 「はい、今日から毎晩鍛えます」 「ところであの布だ……見たところあれはスーツが破けたものらしい。そうだろう、なあそうだろう!?」 「見えないので何ともコメントしかねます」 「しかしどこかで見たような布地だな。しかも見たのは今日だ。いや今までに何度も見た気もする」 「ほんとですか? もしや犯人と関係が……」 2秒後、銀俵の顔色が変わった。 「どうしました? 鏡をのぞき込んだガマガエルみたいに顔が真っ青ですよ」 「例えが古いな。……いや、そんなことはどうでもいい。あの男が犯人だ」 「えっ、もう分かったんですか」 「しかし……いくら優秀な頭脳を持つ人間とはいえ、このような犯罪に手を染めるなどと……いや、あの男ならやりかねない……」 「まるで知人を語るみたいな言い方ですね」 「まさに知人なのだ。安行灯」 「今さら名前間違えないでくださいよ」 「ショックで押すキーを間違えたんだ。この事件、われわれには辛い結末を迎えることになりそうだからな……」 「いつになく真剣ですね。して犯人はいったい……」 「まずは自分で考えろ。おそらくおまえは身内を捕まえることになるのだから……」 「!?」 「さあ、今回はたっぷり時間をやった……これで解決できなければおまえは刑事失格だ。逆に解決さえできれば、おまえの手柄ということになるだろう。つまりこれはおまえの行く末を決める重要かつ重大なテストなのだ。さあ、おまえのちっぽけな脳細胞が導き出した答えを、今こそ、今こそ見せてみるがいい!!」 「…………ぐぅぅ……」 「頼む寝ないでくれ」 「……ああすいません。このところ執筆が忙しくて寝てないもので」 「執筆? 初耳だな。いったい何の話だ」 「じつは……恥ずかしながら小説を書いてるんです」 「ふっ、私の半生記か?」 「違います」 「よーしおまえは刑事失格だ。帰ったらすぐ辞職願いを出せ」 「わかりました」 「そこで素直になるな。いいから推理を聞かせてみろ」 安安藤は首をひねった。 「ザイルがなかったこと、天窓にスーツの切れ端のようなものが挟まっていたこと、ガイシャがスーツを着る人間ではなかったこと、を考え合わせると、犯人はスーツを着ていて、犯行後に天窓から屋根へ登って逃げた、という推理ができますね」 「うむ、いい判断だ。しかし時計の文字盤とチョコレートの謎が解けていない」 「チョコレートが関係ありますか」 「大ありだ。いいか、犯人は屋根から逃走した。そこまではいい。しかしそこから先はどうする」 「屋根から壁伝いに地面に下りた……あ」 「そうだ。家の周りは空き地だ。どこから逃げようとぬかるんだ地面に足跡がついてしまう」 「ああなんてこった。屋根から逃げたわけじゃないのか……」 「いや、屋根から逃げたのさ」 「しかし足跡――」 「いいから人の話を聞け」 「……テストだって言ってたのに」 銀俵は咳払いを一つしてから説明した。 「いいか、部屋になぜチョコレートがなかったか。それは使ったからだ」 「食べてエネルギーを蓄えたんですか?」 「もう少しましなことを考えたまえ。いいか、逃げるとき地面に足跡が残ってしまうことを犯人は計算していたのだ。そこで逃げるときにチョコレートを持ち出した。そして一歩あるくごとに溶かしたチョコレートで足跡を埋めていった」 「そんなばかな」 「どうせ鑑識はドアの付近しかまともに調べてないだろう。犯人は頭がいいからな。わざわざ屋根まで登って、玄関とは反対側の地面に下りて歩いて去ったのは、そうすれば警察の目をごまかせるからだ。それにあの雨ならチョコレートを溶かすのもわけはあるまい」 「待ってください、じゃあ来るときはどうしたんでしょう。やっぱりチョコレート持参で来たんでしょうか」 「来たときにはまだ降ってなかったんだろう」 「あ、なるほど」 「納得するのは早い。まだ時計の問題が残っているぞ。どうだわかるか」 「お手上げです」 銀俵はここぞとばかりに語りだした。 「考えてもみろ。登山家ならぬ、普段山登りをしない人間が、ザイルを使って垂直の壁を登って天窓から屋根に出て、また垂直の壁を下りて、さらにチョコレートを溶かしながら逃げたんだぞ。4時間やそこらでできるはずがない。とまあ、並みの探偵ならここで頭をひねるわけだ」 「ああ、わたしはまだまだ未熟でした……」 「たっぷり悲観しろ。ここで邪魔になったのは先入観だ。いいか、部屋の鳩時計は特注品だ。文字盤の位置が普通と違う。ガイシャの友人とやらは朝の5時にガイシャを訪ねたというが、あれは彼らの先入観が見せた間違いなのだ。あの時計では5時でも、本当は7時だったのだ!」 「少々乱暴な気がしますが……彼らだって自分の時計くらい持っていたでしょう」 「人間の記憶ほど当てにならないものはないさ。おまけにホトケを見て気が動転していただろうからな」 「遺体発見時刻が7時だったとすると、犯人は逃げるのにたっぷり6時間使えたことになりますね」 「そのとおり。運もあるが、犯人は相当な頭脳の持ち主であることがわかるだろう。そしてこれほどの頭脳を持つ人間は一人しかいない」 「誰です?」 「おまえがよく知っている人物さ。そして彼は警察関係者でもある。残念だな……彼ほどの人材を逮捕しなければならないとは」 「! まさか御鎚警部が!? そんな……いくらなんでもそんなことが……」 「何を言っている。御鎚みたいなただの切れ者がこんな大胆かつ繊細な犯罪を犯せるわけがなかろう」 「だから切れ者の意味が……」 「ザイルを使って部屋の壁を登ることができる人物。チョコレートの性質を熟知している人物。いつもスーツを着ている警察関係の男。そして史上最高の頭脳を持つ人物――すべての証拠が一人の人物を犯人として指し示しているではないか。つまり犯人は……」 「犯人は?」 銀俵は言葉を切って目を閉じた。 「犯人は……私だったのか……」 「え゛!?」 「ほかにいないじゃないか。どうやら私が犯人らしい。安安藤、手錠はきつくしないでくれ」 「ちょっと待ってください。ほんとに銀俵警部がやったんですか?」 「どうもそうらしい。そういえば4日前に何をしていたかよく憶えてない」 「ガイシャと面識はあるんですか?」 「よくテレビに出てる顔だからな。面識があるのかないのかもはっきりしない。どこかで会ったような、会わなかったような」 「ずいぶん曖昧ですね」 「それにほら、スーツの裾が不自然に破けているじゃないか」 「裾どころかどこもボロボロに見えるんですが」 「私の優秀な頭脳にケチをつけるのか? 私が私を犯人だと推理したんだ。これが間違ってたら私はどうすればいいんだ」 「でも……」 銀俵は安安藤の肩に手を置いた。 「安安藤……短い付き合いだったな。あとはよろしく頼む」 「銀俵警部……」 「いいんだ。これで。何もかも終わったんだ……」 説得されて、安安藤はしぶしぶ上司に手錠をかけた。銀俵は天窓を見上げてため息をついた……。 銀俵が自主的に牢に入って数分後、御鎚警部の手によって真犯人が捕らえられた。 御鎚は他の事件を追っていたが、事件の容疑者を捕まえて問い質したところ彼は犯行を認め、さらに登山家殺人事件も自分がやったと自供したという。 彼は事件当夜、ビールに隠し持っていた青酸カリを混ぜ、雨が降り出す前に帰ったという。登山家タンジェント荏原は気の抜けたビールが好きだったため、時間がたってから毒入りビールを飲んだのだ。動機は定かではないが、おそらく金銭面のトラブルだろうと御鎚は見ている。 安安藤はそのことを銀俵に伝えた。 「やはりな」 獄中の銀俵はそう言ってにやりと笑った。 ・第6話へ ・「銀俵」へ |