ホーム > ナンセンス > 警部・銀俵 > 第1.8話 交差点殺人事件 |
見通しのよい交差点の向こうからやってくるのは、銀俵(ぎんだわら)警部だった。 「警部! 警部ー!」 安安藤(やすあんどう)刑事が手を振って出迎えた。 「なんだ騒々しい。デカい声でケーブケーブと連呼するんじゃない」 「でも警部ですから」 「わかってないな。優秀な人間がこんな何もない街中をうろついていると知れたら人が集まってくるだろう。交通渋滞にもなりかねん。気分はまるで映画スターじゃないか」 「警部がダメなら、他になんとお呼びすればいいでしょう」 「そうだな……警視、と呼んでみるのはどうだ?」 「嘘じゃないですか」 「近い将来なるに決まっているんだから問題なかろう」 「以前間違えて警部補と呼んだら半日説教してたじゃないですか。前と言ってることが違いますよ」 すると銀俵は哀れむような目を安安藤に向けた。 「おまえは何も見えちゃいないな……今日のわたしが昨日のわたしと同じ人間だと思うか?」 「……は?」 「わたしをよく見るのだ。寝癖の付き方は昨日と比べてどうだ?」 「それは……今日のほうが激しいです」 「目ヤニの付き方は昨日と同じか?」 「いや、昨日より多いです」 「目の充血加減はどうだ?」 「明らかにひどいです!」 「もう一度よく見ろ。わたしは昨日と同じわたしか――?」 しばらく銀俵を見つめていた安安藤は、やがてわなわなと震えだした。 「なんてことだ! 昨日の警部と今日の警部はちょっと違う気がしてきました!」 「そうだろう。わたし自身、ほんの少し違う気がしている」 「ああ、なんてことだ。今まで気づきませんでした!」 銀俵は重々しくうなずいた。 「物事は常に移り変わっていくからな。昨日と同じものなど今日は存在しないと言ってもいい」 「なるほど、だから警部の言うことも毎日違うんですね」 「特に名前だ。変わらないと思っていたら足をすくわれることになるぞ」 「はいっ、これからは名前の確認を怠らないようにします!」 二人が騒いでいるところへ、御鎚(みづち)警部補が颯爽とやってきた。八谷署始まって以来の切れ者と言われる彼に、安安藤は張り切って尋ねた。 「今日の御鎚さんはなんてお名前ですか!?」 「また余計なことを吹き込まれたな。……警部、毎度のことながら到着が遅すぎます。もう少し早く来て頂かないと」 「違うんだ。今日は特別なんだ。なにしろこの場所がゲンバになったのは初めてなものでな……」 「え、警部もですか? 実はわたしも同じ理由で道に迷いましたよ」 「同じ場所で何度も殺人が起こるほうが珍しいと思いますが」 「そうでもないぞ。うちの庭に金魚鉢を置いてあるんだが、いつも同じ場所にあるのに毎日ノラ猫に襲われている」 「放置しないでください。……ん? ちょっと失礼」 御鎚は携帯に出てなにやら話をしていたが、やがて通話を切ると無表情に言った。 「急ですが別の現場に行かねばならなくなりました。ここからさほど遠くない場所で殺人事件があったようです。わたしはそちらのサポートに回ります」 「まあ待て。せっかく来たばかりじゃないか。茶でも飲みながらゆっくり事件について解説していってもバチは当たらないぞ。なあに急ぐことはないとっくに死んでるんだから」 「そうもいきません。警視からの指示ですし、警視を待たせるわけにも――」 「とっとと行け! ダッシュで行って、このダッシュは銀俵警部の命令だったとしっかり警視にアピールしてこい!」 「ご期待には応えかねますが……では事件についての説明は安安藤、きみが警部にして差し上げろ。では失敬」 御鎚は風のように去っていった。 「ダッシュだぞ! ……ふむ、小うるさいのがいなくなったら空気がすがすがしくなってきたな。どうだ安安藤、事件なんてほったらかしてピクニックにでも出かけないか」 「いいですね。野原を歩いてぺんぺん草をすべて抜き尽くしたいです」 「ぺんぺん草に恨みでもあるのか?」 「でもその前に事件について説明してみようかと」 「ほう、自信ありげだな」 「御鎚警部補にそろそろやってみろと言われまして、朝から張り切って作った大作ですからね」 そう言うと安安藤は胸ポケットからハンカチを取り出した。よく見るとびっしり文字が書かれている。 「それは何の真似だ。おしゃれ泥棒か?」 「今日手帳を使うとは思わなくて、署に置いてきてしまったもので」 「まったく、緊張感のカケラもないやつだな。まあ、わたしくらい仕事に余裕ができてくると警察手帳すら持ち歩かなくなるがな」 「仕事にならなくないですか?」 「仕事をしなければならない理由があるのか?」 「真顔で聞き返されましても」 安安藤が難しい顔をして歩き出したので、銀俵もついていった。 「……では始めますね。えーと殺されたのはカ部らキじゅん乃輔」 「なんだその脅迫文みたいな名前は」 「一部漢字とかひらがながわからなかったんですよ。で、彼の好物は盆栽チャーハンです。事件性があります」 「何を言っているのかわからないんだが」 「出血が多かったので倒れていました。いや、倒されていました」 「小学校1年生が初めて書かされた作文みたいな文章だな」 「あ、わかります? わたし国語が苦手で、成績はずっと2だったんですよ」 「担任の優しさを感じる数字だな」 「小説のような文章なら得意なんですが、こういう読書感想文みたいなやつは今でもどうも苦手で」 「読書感想文とはまったく違う気がするが……まあ落ち着け。事件の概要をまず教えてくれ。ガイシャはどんな殺され方をしていた? 凶器はなんだ? ホシは誰だ?」 「そうですね……人間の心に巣食う闇に殺された、といったところですか」 「そこを小説風にしてどうする。ガイシャの特徴はどうなっている?」 「え? えーとそうですね、背格好はわたしとだいたい似てたんじゃないでしょうか」 「おまえの特徴がわからんと比較のしようがないじゃないか」 「目の前にいるじゃないですか」 「一つ一ついこう。ガイシャの歳はいくつなんだ?」 「調べてないですが、見た感じ20代から50代、というところでしたね」 「幅広いな」 「人は見た目で判断できませんから」 「反論できん。他はどうだ」 「背の高さは普通。中肉中背でした。髪型はさっぱりしてました」 「どんどん捉えどころがなくなっていくな」 「凶器は刃渡り50cmほどのサバイバルナイフのようなものですね。傷口の形状からして、おそらく90年代にアメリカで販売されていたアブラムスィ社のハンディダンディシリーズです」 「そこだけずいぶん細かいじゃないか」 「銃器刀剣類は小さいころから身近にあったもので」 「事件よりもおまえの家庭環境に興味が湧いてきたぞ」 「いたって普通の傭兵稼業でしたよ。……で、胸のあたりにぐっさり刺さってて、シロウト目にも即死っぽかったです。痛々しくて泣きたくなりました」 「傭兵はどこへ行った」 「死んでいた場所は……あ、ちょうどいま銀俵警部が踏んづけたあたりです」 「のわっ」 銀俵が慌てるのにまるで構わず、安安藤はハンカチを裏返して細かい字を読み返した。 「あ、そうそう、事件の目撃者がいたんでした。昨夜11時くらいにガイシャと揉みあって、押し倒すと同時に駆け去った人物をはっきり見たというんです」 「なんだ、それなら話は早いな。で、ホシの特徴は?」 「えーと、年齢は20代から50代くらい、背の高さは普通で中肉中背、こざっぱりした髪型で――」 「それはさっき聞いたんだが」 「それが、ガイシャと同じような背格好だったようでして」 銀俵の目がきらりと光った。 「ははーん、わかったぞ、ホシはガイシャの双子の弟だ!」 「たしか、ガイシャは一人っ子だと聞いたような……」 「そういうところをメモしておいてほしいんだが」 「すみません、なにしろ不慣れなもので」 「まったくなってないな。わたしに泣いて頼めばシゴトのイロハを教えてやらんこともないぞ」 「それは助かります。うまく泣けそうにないので目薬を買ってきていいですか」 「すぐ買ってこい。膳は急げというからついでに昼飯も頼む」 「ガッテンです!」 安安藤が走り出そうとしたちょうどそのとき、二人の目の前を年齢20代から50代くらい、背の高さは普通で中肉中背のこざっぱりした髪型の男が全力疾走で駆け抜けていった。二人がまったく反応できずにいるうちに、今度は御鎚が超人的な速さで二人の前を走り抜け、男を追って去っていった。 安安藤ははっとした。 「警部! い、今の男!」 銀俵もはっとした。 「ああ、間違いない。あれは御鎚の阿呆だった!」 「いえそっちじゃなくて」 「見たかあの走りを。あいつめ、年に一度の八谷市体育祭・短距離走部門で六年連続優勝などしてずっとおかしいとは思っていたが、仕事中に特訓していたのか。なんてやつだ。なんて不届きものだ」 「たしかに、陸上部みたいな走りでしたね」 「なんでもあいつは学生時代は書道部だったんだが、陸上部、バスケ部、サッカー部、柔道部、剣道部、野球部、吹奏楽部、囲碁部、その他あらゆる部活から勧誘を受けまくっていたそうだ。全部蹴ったというから、昔からナマイキなやつだったんだな。しかし、そんなあいつを勧誘しない部が一つだけあったという……」 「何部ですか?」 「書道部だ。あいつめ、書道だけは苦手だったとみえる」 「すでに所属していたからでは」 「待てよ……そうかその手があったか。やつに地べたを這いつくばらせるには、まずやつの苦手な書道から攻めればいいんだ! 一点突破したら、あとは傷口を広げるようにぐりぐりと痛めつけてやればいい」 「警部は書道が得意なんですか?」 「まさか。そのまさかだ。自慢じゃないが字は下手くそだ」 「絶望的な展開ですね」 「なあに、今から特訓すればいいのさ。そうだ、おまえはこれから買出しに行くんだったな。ついでに書道セットも買ってきてくれ。よおし、やる気がみなぎってきたぞ」 「書道セットと、昼ごはんと……あとなんだっけ。困ったな、多すぎて憶えきれません。メモしようにもハンカチはもう余白がないし」 「問題ない、それで全部だったはずだ。忘れないうちに買ってきてしまえ」 「はい! 警部のための買い出しみたいになりましたが気にしないことにします!」 店を探して駆けていく安安藤の背中を見送って、銀俵は一仕事終えたようにため息をついた……。 その日のうちに、御鎚警部補の手によって事件の容疑者は逮捕された。 次の事件現場の調査をいち早く終えた御鎚は、「犯人は現場に戻る」の格言を思い出し、例の交差点まで戻ってみた。そこで怪しい男を見つけ、職質しようとすると男が突然逃げ出したので、俊足を活かして追いかけ捕まえたのだった。足に自信のあった容疑者だがあっという間に追いつかれ、一瞬で襟を固められて、格の違いを思い知りすぐに観念したという。男は被害者のいとこだった。 安安藤はそのことを銀俵に伝えた。 「やはりな」 警部はそう言ってにやりと笑った。 ・第2話へ ・「銀俵」へ |