お惣菜の銀俵フーズ



「銀俵(ぎんだわら)フーズ、銀俵フーズ……あ、あれだあれだ」
 安安藤(やすあんどう)は今にも崩れ落ちそうな廃屋の前に立って、正面玄関から中を覗き込んだ。薄暗い室内に2つの目が爛々と光っている。
「銀俵警部、そんなホラーな目をしないでください。怖いじゃないですか」
「なんだ安安藤じゃないか。いつ見ても冴えない顔だな。午後の散歩か?」
「違いますよ。捜査会議をすっぽかしたニワトリ銀俵を引っ張って来い、って御槌(みづち)警部が」
「なんだそのニワトリというのは」
「トサカにくる、と言いたいんじゃないでしょうか」
「前々から思っていたんだが、やつには笑いのセンスがないな。警部としては一流のつもりかもしれんが、あれでは芸人にはなれまい」
「なるつもりはないと思いますが……それよりこんなとこで何してるんですか」
「何してるとはなんだ。これを見て分からんのか」
 銀俵が腕を広げて示した先には腰の高さくらいの台があり、透明な容器に入った食べ物がぽつぽつと置かれている。台の隅には分厚くホコリが積もっている。
「わかった、隣のおばあちゃんのお店の留守番ですね?」
「ここが私のうちだ。隣のおばあちゃんは隣にいる」
「そういえば看板に銀俵フーズとありますね。要するに何のお店なんですか?」
「お前の頭に詰まっているのはポテトサラダか? 見ればわかるだろう、うちは惣菜屋だ。これでも3代続いている伝統ある店なんだ」
「4代続きそうな気配がありませんが……どなたがお惣菜を作ってるんですか?」
「私だ」
「おや料理できるんですか」
「店主だから当然だな」
「でも警察の仕事が」
「あんなものは副業だ」
「言い切りましたね。御槌さんが聞いたらまた激怒しますよ」
「問題ない。やつもうちの常連だからな」
「今日はいろいろ驚きの事実が出てきますね……いいから早く署に戻りましょうよ。私も仕事がありますし」
 そのときどこからか女性の悲鳴と「おまわりさん! おまわりさん!!」という叫び声が聞こえてきた。安安藤ははっとして銀俵を見たが、銀俵はぶすっとした顔で少しも動かない。そのうち足音がかけてきて「止まれ、警察だ!」という声がし、乱闘の音がして、「うげぇ」という男の声がして、「ありがとうございました、おまわりさん!」というさっきの女性の声がした。
「せっかく来たんだ。いいから何か食っていけ安安藤」
「そうじゃなくて。今の騒ぎを無視しちゃっていいんですか?」
「あれだけ騒がれれば無視などできんさ。まったく、日本のおまわりは騒がしいよなあ」
「銀俵さんもその一員なわけですが……」
「いまは警察の人間ではない。銀俵フーズの3代目店主だ。警察だったのは過去の話だ。だがあの悲鳴を聞いて走りだしていたら、今頃私は警察の人間になっていたかもしれん」
「3代目ともなると気合が違いますね」
「わかってきたじゃないか。まあいいから何か食っていけ」
「え、いいんですか? じゃあせっかくだから……」
 安安藤はド派手なプラカードに目をやった。


『今日のお勧め 9割引コロッケ』


「へえ、今日はコロッケ9割引の日ですか……9割も引いちゃって大丈夫なんですか?」
「見ればわかるだろう。大丈夫なコロッケじゃないか」
「新鮮な響きですね……じゃなくて私が言ったのは値段のことなんですが……」
「いいから試しに食ってみろ」
「じゃあ遠慮なく……あれ、これ中身スカスカじゃないですか。衣ばっかりで油っこいし」
「うむ、中身を9割も抜いたらそんな味にもなるだろう。ちなみに値引きはしていない」
「少しも大丈夫なコロッケじゃないような……」
「なんだ気に入らないのか」
「だってお勧めって書いてあるのにこれじゃあ」
「私が勧めたい気分なんだから間違いじゃないだろう」
「そう言われると正しい気がしてきました」
「実はここ一年ぶっ続けでお勧めにしているんだが、売れ行きはいまいちなんだ。しかもリピーターはゼロ。よその店がうちの妨害工作をしているんじゃないか、というもっぱらのウワサだが……?」
「私に問いかけないでください。この辺りに来たのも初めてなんですから」
「文句の多いヤツだ。これでも食って性格を見直すがいい」
 銀俵が差し出したのはポテトサラダの容器。貼ってあるラベルにはこう書かれていた。


『栄養控えめ』


「なんですかこの体に悪そうな宣伝文句は」
「ふふ、面白いだろう。他の店で『カロリー控えめ』というのを見つけて思いついたんだ。次はこれが流行る」
「斬新すぎて、ついてこれる人が少なすぎやしませんか」
「ついてこれないやつは置いていく。未来にたどりつけるのは一握りの人間だけなのだ」
「悪の支配者みたいなことを言いますね……せっかくだからこれも頂いてみましょうか。……あぐっ」
「どうした」
「ひどい味です。なんだか異常に乾燥したジャガイモのクズを食べてるような」
「まあそんな味だろうとは思っていたが、やはりそうだったか。一晩水に浸けたあと3日間天日に干してこれでもかと栄養素を逃がしてあるからな」
「味見しないんですか?」
「しない。だって私は店長だから」
「間違った路線を全力疾走してますね」
「全力といえばこれなんかどうだ。私が全力で釣り上げたものだ」
 銀俵は

『新種エビフライ!!!』


と書かれた包みを安安藤に手渡した。
「びっくりマークが3つもついてるのが必死すぎて怪しいですね……あれ、でも中身は普通のエビフライに見えますよ」
「はたして普通かな? 味を見てから言うがいい。なにしろウラのドブで取れた新種だからえらい味がするに違いない」
「どうりでドブ臭いです。しかも妙なエグみがある……もう少し普通なやつが好みなんですが」
「平凡なやつだな。ならこれでも食うがいい」
 銀俵はサンドイッチのようなものを取って安安藤によこした。
「サンドイッチに見えますが、今度はどこまでがサンドイッチですか?」
「安心しろ。これは普通に作っているんだ」
「普通のだけ売りましょうよ……ん?」
 ふと気配を感じて安安藤が振り向くと、眉にしわを寄せてなにやら考え込んでいる御槌が立っていた。驚いて道を開けると、御槌は考え込んだまま台に向かい、考え込んだまま普通のサンドイッチを手に取り、考え込んだまま銀俵に金を払い、考え込んだまま店を出て行った。2人に気づいた様子もない。
「……今の、御槌警部ですよね?」
「さっき言っただろう、常連だと」
「すごい勢いで考え込んでましたが」
「いつもそうなのだ。どうせ事件のことしか考えておらんのだろう。だいたいあんな顔してサンドイッチが好物だというんだから笑えるじゃないか」
「そこは笑いどころでしょうか」
「ちなみに、どうせ考え込んでいて気づかないだろうと思って、あのサンドイッチには細工がしてあるんだ」
「やっぱり普通じゃなかったんですね」
「あれに入っているキュウリは特別なキュウリなんだ。食べるとひどい幻覚に襲われる。ひどいときには足の裏がかゆくなる」
「幻覚の方がひどい症状のような……って御槌さんに何食べさせてるんですか」
「あいつの捜査好きはそれくらいしないと直らんからな。これも芸人になるための第一歩だと思って心を鬼にしてやっているんだ」
「にやけながら言わないでください。本音が見え隠れしてます」
「そういうやつはこれでも食いたまえ」
「『お肉たっぷり! とうふハンバーグ』……結局お肉は入ってるんですか、それとも入ってないんですか?」
「それを考えながら口にするんだ。判断はきみの手にゆだねられている」
「無茶言わないでください。……おっ!?」
「どうだったかね?」
「入ってるような、入ってないような……」
「どちらでもありえるな。気が向いたときだけ肉を入れてるんだ」
「まったく入れないのが正解のような……」
「そうそう、これなんか面白いぞ」
「『食べるな危険』……ギャグか何かですか」
「本当に食べると危険なんだ。どれほど危険かは誰かに食べさせてみないと分からんが」
「さりげなく人を実験台にしようとしましたね……あ、これなんか普通そうじゃないですか。『フォアグラ入りミートボール』」
「普通すぎてつまらんだろう」
「でもフォアグラ入りで1つ20円は激安ですね」
「それはそうだ。実は入ってないんだ」
「何がですか?」
「フォアグラ」
「詐欺じゃないですか」
「大丈夫だ。このことは私とおまえしか知らん……」
「そんな怖い顔で見ないでくださいよ」
「黙っていれば何もしやしないさ……しかしおまえ、だいぶ食べたじゃないか」
「どれも一口しか手をつけてませんが」
「商品に手をつけたのは事実だ。そろそろ会計を済ませるべきだと思うが」
「え、お金払うんですか? だって銀俵さん食べてけって……」
「つべこべいうな。食い逃げの現行犯で逮捕するぞ」
「今はただの店主だったような」
「人はいつでも変われる。変われるんだ……」
「そんな遠い目で見ないでください。わかりましたよ払いますから」
 安安藤は支払いを済ませて店を出た。銀俵に会いに来た理由はすっかり忘れていた。

 翌日、安安藤は署内で御槌が昼食をとっているところを見かけた。御槌はあいかわらず考え事をしていたが、よく見るとサンドイッチからキュウリを抜き出しては捨てていた。
 本能によって無意識のうちに毒物を排除しているのか、それともただキュウリが嫌いなのか。安安藤は銀俵に意見を聞こうと思い部屋に行ってみた。
 銀俵はキュウリを食べて何かよからぬものを見ていた。


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