魔女の宅急便

ネタバレ必至なので読みたくない人は読まないで頂きたい。

 魔女の宅急便、と聞いてまず思い浮かぶのは、ジブリの名作映画ではないだろうか。
 ご存知の方も少なくないであろうが、この映画には原作小説が存在する。著者は角野栄子。宮崎監督ではない。
 そしてこれもそれなりに知られた話だが、宮崎監督は原作を思いっきり改変することで知られている。そこで今回は、おそらくより知名度が高いと思われる映画版をベースに、原作の小説版とどのような違いがあるかを、戯れに列挙してみたいと思う。
 なお原作小説は2024年7月現在、キキが主人公のメインシリーズが6冊と、キキの物語に出てきた他の登場人物にスポットを当てた特別編3冊、計9冊が発表されているが、映画版に相当するのはメインシリーズの1巻目のみである。

  1. 「時代のせいですよ。何もかもが変わってしまう」
  2. 映画版の冒頭は、キキが故郷の町で魔女の修行のための旅立ちを決意するところから始まる。キキがその日に出発すると決めたことを母親のコキリさん(映画版では名前が出てこない)に伝え、コキリさんは驚いて作りかけの薬を爆発させてしまうが、このときコキリさんに薬を作ってもらいに来ていた老婆が親子のやりとりを聞き、本項のちょっと深いセリフ「時代のせいですよ。何もかもが変わってしまう」を口にするのである。
    しかしながら、この老婆は原作には登場しない。よってこの深いセリフもない

  3. 「キキったら、飛ぶことしか覚えなかったんですよ」
  4. 同じく冒頭の老婆との会話にて、キキの母親コキリさんはこのように言っている。あたかもご本人は数多くの魔法を操る熟練の魔女、であるかのように聞こえるが、実はコキリさんも飛ぶこと以外にはくしゃみの薬の作り方しか知らない。そもそもそれは魔法なのか、という疑問は当然あるが、この「くしゃみの薬」は原作では風邪の薬としても使われているし、映画版でも老婆がリウマチの薬として愛用している様子で、なにげに万能薬ではないかとも考えられる。してみるとやはり魔法やまやかしの類か。
    いずれにせよ原作では、2巻目においてキキもこの薬の作り方を覚えるので、魔女としての能力は旅立ちからわずか1年でコキリさんと並ぶ

  5. 「相変わらず下手ねえ」
  6. キキがほうきに乗って修行の旅に出る際、出だしからほうきが暴走気味に飛び、キキは家の周囲に立っている木々に次々ぶつかる。この時に鳴る鈴の音は、キキの飛び方を上達させるために木に結わえ付けられていたものであるが、旅立ちに際してもこの鈴を次々鳴らすのを見て、母親のコキリさんは本項のセリフ「相変わらず下手ねえ」を口にする。
    しかし原作では、実はキキは飛ぶことが上手である。原作でも木に結びつけられた鈴は登場するが、これはキキが幼い頃、飛びながら考え事をしていていつの間にか低く飛んでおり木にぶつかる、という事故に備えたもので、あくまでまだ飛び方を練習していた頃の名残である。そもそも考えて頂きたい。本当に飛ぶことが下手なら、ほうきで飛んでお荷物をお届け、など仕事にしようとは思わないはずである。よってこの点はよく考えると映画版にやや無理がある。というか、映画版ではキキは唯一の特技さえ取り上げられるという珍事が発生しているのである。

  7. 他の魔女との遭遇
  8. キキは一晩飛び続け、後に住み着くことになるコリコの町(映画版にはこの名前は出てこない)にたどり着くが、その途中で他の魔女が空を飛んでいるのに鉢合わせする。細かいようだがこの魔女との遭遇も原作にはない。原作では3巻目にこの魔女に近い髪型と、この魔女にやや近い鼻につく態度を持った魔女(厳密には半分魔女)のケケという人物が登場するものの、おそらく映画版の魔女はこれとは無関係に創作されたと思われる。世界観の構築に役立つ、という判断だろうか。
    映画版のこの魔女は占いが得意だとのたまうが、魔女の占いと聞くと異常に的中率が高そうで、それはそれで怖い

  9. 貨物列車
  10. コリコの町にたどり着くまでに大雨に降られたキキは、途中で見つけた貨物列車に入り込んで雨宿りし、そこに積まれていた藁束の上で寝てしまう。朝にはその下にいた牛たちに足をなめられて目を覚ます…というちょっとしたハートウォーミングエピソードがあるが、原作には貨物列車ごと出てこない。普通に町まで飛んでいくだけである。

  11. 時計台の高さ
  12. コリコの町には背の高い時計台がある。これは原作でも同じだが、原作ではこの塔の高さが尋常ではなく、高すぎて上の方は雲がかかっていて見えない。高すぎる。

  13. おソノさんの親切度
  14. 映画版ではパン屋「グーチョキパン店」の豪快な性格のおかみさん、おソノさんが気前よくキキに空き部屋を貸してくれる。さらにキキの宅配業に使う電話線まで、キキがパン屋の店番を手伝うことを条件に、パン屋のを共同で使っていいと太っ腹なところを見せる。
    小説版でもおソノさんの気前は充分よいが、パン屋の隣の粉置き場を住居兼仕事場として貸してくれるだけで、電話線までは貸してくれないので、キキは自分で電話線を引いている。リアルというか、シビアというか。よってキキはパン屋の店番もしないので、あのキキをデザインした印象的なパンも原作では焼いてもらえない

  15. おソノさんの子供
  16. 映画版では物語の最後に生まれているが、原作ではキキが宅配屋を始める話をおソノさんにした直後に生まれている。キキは自分でも気が付かないうちに何か目に見えないものでもお届けしたのだろうか

  17. トンボがチャラくない
  18. 映画版ではのっけからキキに対してナンパ的な振る舞いをしたり、遊び好きっぽい少女たちと交流していたりと、その物言いから行動まで軽い印象がある少年、トンボ。
    原作ではトンボにチャラさがまったくない。例えるなら真面目な学者風の少年、といったところだろうか。飛行研究会に所属しているのは映画版も原作も同じだが、原作では空の飛び方を研究しており、飛び方のスランプに陥ったキキに助言したり、変わった飛び方をする竹とんぼの制作に熱意を燃やしたり、果ては遠くの町に留学して一人で山にこもり虫の研究をしたりしている。繰り返すがチャラさがまったくない。
    トンボの登場とほぼ同時に、キキが後に憧れや軽い嫉妬を覚える、かわいらしくおしゃれな少女が登場するが、この少女はトンボと同じ飛行研究会にも所属しており、若干アプローチ気味にトンボに声をかけているにも関わらず、トンボは彼女に浮ついたセリフなどまったく吐かない。原作の彼はむしろ軽く鈍感である
    当然、映画版のトンボ登場時のようなナンパ的行為自体が原作には存在しない。原作ではトンボは空を飛ぶことに憧れるあまり、噂に聞いた魔女の真似をすれば空を飛べるかもしれないと考え、魔女と同じ格好をし、キキのほうきを盗んで空を飛ぼうとした挙げ句、ほうきを折ってしまう、というむしろ奇人と呼びたい登場の仕方をしている。なおそうまでされても、キキは映画版ほどトンボにつらく当たらない。やはりチャラさこそがキキの嫌悪感の原因だったようである。

  19. 犬と少女とナウシカと
  20. キキがお届け物の最中にジジそっくりの黒猫の人形を森に落としてしまったため、探すための時間稼ぎにジジが人形の代わりをする、というエピソードは、人形を落とす経緯に違いはあるものの、原作にも登場する。しかしあの印象的な、ジジをさりげなくかばい外に連れ出してくれた犬は原作には出てこない
    さらに、森で黒猫の人形を拾った絵かきの少女は原作にも出てくるものの、後々まで交流を続ける映画版とは違い、原作では「モデルになって欲しいって」というキキのセリフを最後に一切登場しない。よってあのナウシカチックな絵や、「この脚線美が分からないとは」といった名セリフも存在しない。絵を描けなくなることがある、といった創作家の悩みのような話題も当然ないが、代わりにキキの母親コキリさんの「つくるって、ふしぎよ。自分がつくっても、自分がつくっていないのよ」という、やはり創作家の悟りのようなセリフが原作では読める。

  21. ジジがしゃべれなくなる
  22. 映画版では途中から、ジジが言葉を話せなくなり、普通の猫のようにしか振る舞わなくなる。
    原作ではそのようなことは起こらない。4巻目だったか、ジジが映画版の白猫のような猫に恋心を抱き、自分も普通の猫のように話したい(キキとは魔女猫言葉で話している)と思い練習した結果、普通の猫の言葉と魔女猫言葉が混じってしまいキキでも言葉を聞き取りづらくなる、という自体に陥るが、映画版のようにまったく話せなくなるようなことはない。また後にジジは元通り魔女猫言葉を話すようになる。
    なお映画版でなぜジジが話せなくなったかについては、宮崎監督自身の回答として、実はジジが話していたのではなく、ジジの声はもともとキキの声であって、キキが成長し必要がなくなったためにジジの声が聞こえなくなったのだ、とある。しかしどうやらこの「実はキキ自身の声だった」という考え自体が宮崎監督の創作であり、原作にはないもののようである。実はキキはジジと会話ごっこをしていただけ、と考えるとなんとなく痛々しさがある

  23. にしんのパイ
  24. 原作にはにしんのパイのエピソードは丸ごと存在しない。よってキキの誕生日を知りたがる上品な老婦人も、「わたしゃ電気は嫌いです」というクールな台詞を吐くばあさんも存在しない。

  25. 飛行船
  26. 原作では飛行船は飛んでこない。よって飛行船を見に行くためにトンボがジジと自転車の二人乗りをすることはないし、トンボが宙吊りになることもないし、キキがデッキブラシで飛ぶこともない

こうして並べてみると、キキがジジの人形を落としたあたりからは、映画版は完全に独自の物語となっている。
だからといってどちらが上だとか、どちらの方が面白くないということはまったくない。むしろここまでくると、映画版は原作の設定だけ踏襲した二次創作、とでも呼ぶべきで、両者を完全に別物と思って楽しむべきであろう。

なお最後にもう一度繰り返すが、原作ではトンボがまったくチャラくない


戻る