TEN2



 

津田島の店「TEN」で昼飯にチーズフォンデュパスタコースを食った。

5歳の娘がビデオのリモコンのスキップ機能を覚えたのだが、気づけばCMだけでなく、プリキュアの変身シーンや必殺技シーンをスキップしていて(新しいな)と思った。
時代は変わる。かつて子供達を虜にした変身シーンも、もはやただの繰り返しとみなされる時代。いずれ俺も、ボタン一つで娘にスキップされる日が来るのだろう。
心に吹いた北風に誘われるように、俺は綱島公園のそばにあるイタリアンの店、TENへと向かった。……などと書くと感傷を慰めに行ったかのようだが何のことはない、この店に行くことが年末の恒例行事になりつつあるだけである。

扉一つくぐれば、駅前の喧噪はもはや遠い。別世界のような静けさと穏やかさが出迎えてくれる店内。シックな色調の内装と赤い絨毯。にこやかに応対する店の男のクールな装い。
今日はワインはつけますか、と店の男が聞く。顔を覚えられているようだ。行きたい店が多すぎて、この店には年2、3回しか来られないのだが……。以前、大盛り無料なのをすっかり忘れていて、注文後に慌てて「やっぱり大盛りでっ!」と厨房に大声を放ったのが、店員に強い印象を残したものに違いない。

今日の注文はチーズフォンデュパスタコースとグラスワイン。パスタは3種類から選べる。どれを選ぼうとここは当然、無料の1.3倍をチョイスだ。

大ぶりのワイングラスが運ばれてくる。グラスに揺れる紅玉の輝きが俺の追憶を誘う。今年も多くの友が人生の波濤になすすべなく押し流され、かつての輝きを失っていった……。
上司に「俺が千円札崩してきますよ」と言ってドーナツ屋に入ったが、うっかり電子マネーで支払いをしてしまい、ドーナツだけ手にして戻ってきて微妙な空気を作った結果、職場で「ミスタードーナツ」のあだ名を頂戴した大木。
歯医者で待ち時間中に怖くなり、「なんか歯が痛くなってきたんで」と意味不明な言い訳をして逃亡した荻窪。
職場から13km離れた自宅まで「徒歩で余裕で帰れる」と豪語し、勇んで会社を出たものの、道半ばで携帯の電池が切れたために道が分からなくなり、帰れぬ人となった安藤。
そして伝説の男、吉田。やつのことはよく憶えていない。

俺の追憶に遠慮するかのように、店の男がチーズフォンデュの皿をそっと目の前に置く。溶けたチーズのカップと、その横に並ぶパンや野菜たち。とたんに追憶は跡形もなくどこかへ消え去り、猛然と食欲が湧き起こる。ワインとチーズ。これほど完璧な組み合わせがこの世界に他にいくつあるだろうか。
フォンデュ専用のフォークでパンを刺し、チーズを絡めて口に運ぶ。美味い。ワインを軽く口に含む。美味い。食っては飲み、飲んでは食う。最後はパン切れでチーズを余さず拭って口に放り込み、余韻を楽しんでからワインを一口。美味い。

次はパスタだ。この店のパスタがまた何を食っても美味い。しかもいつ見てもパスタセットのパスタが違う3択になっている。強いて難を挙げるなら、気に入ったパスタがあっても再会できないことだが…などと考えているうちにいつの間にか完食してしまった。いかん、詳細なレビューができないぞ。名前は……そう、アサリと白菜のジェノベーゼだ。味か? うん、うまかった。レビューになっていない? うまけりゃいいじゃないか別に。
ちなみに俺のお気に入りは季節野菜のボロネーゼとアマトリチャーナ。トマト系に偏っているのは単に俺の好みの問題だが……考えてみれば同じパスタが出てこないのでは、レビューの意味が薄いような。

そんなこんなで食い納めレビューがグダグダになってしまったが、おかげでかえって気分が上がった。そう、いつだって美味いものはそこにある。空腹を満たし、生きる気力を与えてくれる。うっかり電子マネーでドーナツを買おうと、歯医者からみっともなく遁走しようと、帰宅途中で迷子になろうと、人は何度でもやり直せる。

俺は何かいいことを言ったような気分になり、スキップしながら家路についた。


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