マミーズ・アンドゥトローワ



 

マミーズ・アンドゥトローワのアップルパイとチェリーパイを食った。

日村糖九で期間限定出店されているその店の情報を、俺は先週入手していた。なんでも、その店はアップルパイが有名だが、情報提供者によるとチェリーパイが美味いという。
好みに合わなければ黙っていればいい。俺はすでにチェリーパイを買う気でいた。俺の決意は固い。
魔性に侵された店、麦のポルコを後にした俺は、愛車MAMA-CHARIを走らせ、山の上に君臨する街、日村へと向かった。

活気あふれる糖九1階売り場の、入り口から少し奥に行ったところにその出店はあった。
痩せぎすの店の女が、客の女を相手にしている。さりげなく客の背後をとって順番を確保し、俺は陳列棚を眺めた。

まず真っ先に目についたのはチェリーパイ…ではなくアップルパイの宣伝だ。テレビで紹介された云々の張り紙があちこちに掲げられている。店員正面のガラスケースに並ぶ無数のアップルパイ。カットとホールだけでなく、なんとアップルパイだけで4種類もある。
俺は動揺を隠すのに必死だ。俺の決意はどうした。俺の心はアップルパイに傾いてきている。チェリーパイは1カット600円。アップルパイは750円。
ついに前の客が去った。店の女と目が合うなり、俺は迷いなく言った。
「アップルパイ、それとチェリーパイを」

人生は二度やってこない。この店も日村まで出張ってくることはもうないかもしれない。
俺は後悔をしない主義だ。2つ気になるなら、2つともモノにすればいい。

チェリーパイは冷凍物です、アップルパイは温めても美味しいです、と店の女がよどみなく売り口上を並べていく。その様が俺の脳裏で、昔共に暮らした女の面影と重なる。俺の内股に並ぶほくろから、尻の穴の数まで、俺のすべてを知る女。不思議なものだ。あの女と店の女は似ても似つかないのだが。
ふと店名に目をやり、俺は理解する。マミーズ。すべての母親を内包する名。ママンは今日も、季刊誌に自分の名が載る日を夢見て、せっせと俳句をひねり出しているのだろう。そう、確かペンネームは、おどりダコ。

雑用を済ませて棲家に帰った俺は、さっそくパイを食うことにした。
チェリーパイはすでにほどよく解凍されている。アップルパイは冷やしても温めても美味いというのだから、当然両方試さねばなるまい。まずは保冷剤で冷えたままのアップルパイにかじりついた。
ごろっとしたりんごのチャンク。底には薄いパイ生地と、たっぷりのカスタードクリーム。ふむ、美味い。美味いが、これなら熱々で食いたい。

箱にはご丁寧に、店の女が語った通りの温め方が書いてある。
ホイルで包んだパイをトースターに入れ、軽く試食のつもりでチェリーパイをかじった俺は、一瞬目を閉じて動きを止めた。再び開いた目に映る艶やかな紅玉の重なり。美味い。あまりチェリーをうまいと思ったことのない俺だが、素直に美味い。我知らず次の一口に手を伸ばしかける。

そこでトースターのベルが鳴る。待て。熱々のアップルパイもまた捨てがたい。

熱いアップルパイに齧りつく。そう、これだ。冷たい時とは比べ物にならないりんごの芳香。溢れる果汁。カスタードクリームも存在感を強めている。
美味い。美味いのだが…

認めよう。俺の心はチェリーパイに戻りたがっている。

歳を重ねても、新たな発見は常にある。
アップルパイはどうだっただろうか、などと焦れる心配とも無縁だ。
両方のパイを買った数時間前の俺を、俺はコーヒーのカップを掲げて讃えた。

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