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るろうに剣心、というマンガをご存知だろうか。幕末の京都で「人斬り抜刀斎」と呼ばれ恐れられた主人公・緋村剣心が、伝説の古流剣術を武器に、悪いやつらをばったばったとやっつけていくマンガである。「強い」「すごい」という触れ込みのキャラがザコっちく倒されることが多かったり、日本語が少々おかしかったりするのがアレだが、剣術による戦闘シーンはなかなか格好よく、ストーリーも分かりやすく、少年マンガらしいマンガである。 さて、今回は主人公ではなく、主要脇役の一人である美形剣士・四乃森蒼紫(しのもり あおし)について考察してみたい。ネタバレがあるので以下を読むときは注意すること。 四乃森蒼紫――詳細を省いて紹介すると、彼は最初、主人公・剣心の敵役として登場。剣心との戦いに敗北した彼は剣心に勝つため修羅になると言い放ち、昔の同士を半殺しにする。その後剣心と再戦するもまたも敗北、とたんにコロリといい人になり、以降剣心チームの一員として悪役と戦うというこの説明を読んだだけではトンデモ野郎にしか見えないキャラである。 彼は修羅を目指す過程で「御庭番式・小太刀二刀流(おにわばんしき こだちにとうりゅう)」という剣術を会得し、さまざまな技を使うようになるのだが、今回の考察はそれらの技の中でも最強と思われる(というより最強でないと示しがつかない)技、「御庭番式・小太刀二刀流奥義 回天剣舞六連(おにわばんしき こだちにとうりゅう おうぎ かいてんけんぶろくれん)」を題材として取り上げてみたい。 私はるろうに剣心を読むうちにひとつの疑問に突き当たった。「御庭番式・小太刀二刀流奥義 回天剣舞六連(長ったらしいので以下「回天剣舞六連」とする)」が奥義にしては目立っていない気がしたのだ。出番が少ないという意味ではない。「奥義」といいつつやたらめったら撃ちまくるのは少年マンガの王道。回天剣舞六連も例外でなく、技を会得した後の四乃森蒼紫の各戦闘において必ず一度は繰り出されている。ではなぜ「目立っていない」と思ったのか。私は回天剣舞六連の登場シーンをチェックし、たしかに目立っていない、というよりむしろ役に立っていないという事実を発見したのである。 証拠を示す前に、るろうに剣心の作者が「奥義」というものをどう認識していたかを確認しておく必要があるだろう。作者がもともと「奥義」を普通の技程度にしか考えていないのなら、回天剣舞六連が役立たずでも仕方がない。 作者の認識を示していると思われるものに、作中の次のような台詞がある。 「奥義はそうた易く破られねェから奥義ってんだよ!」 他にも、自分の力量が敵に及ばないとなると師匠に奥義の伝授を請う、という話の流れが作中通して2回も出てくる。このことから、作者にとって奥義とは、 敵を倒すことを目的とし、 他の技に比べ数段上の威力を持ち、 かつ簡単には破られないもの であると見なすことができる。これは世間一般の「奥義」の認識とさほど変わらないだろう。 しかるに回天剣舞六連はどうか。以下はこの技の登場シーンと、技を撃った結果である。
…敵に当たってねぇ。しかも唯一当たった相手はかつての同士ときている。最後の2試合は勝ち試合なのだが、とどめはどちらも別の技。奥義はといえば止められ、撃ち返され、あげく真似され…ていうか真似されるなよ。 …こうして、四乃森蒼紫の奥義・回天剣舞六連は物を壊すか同士を倒すかしかできないヘッポコ技であることが立証された。 ・戻る |