第1話 「くちなしの花」殺人事件



「警部、こっちです、こっち」
 部下の安安藤(やすあんどう)刑事が手を振っていた。
 銀俵(ぎんだわら)警部は安安藤のそばにかがみ込んだ。
「ほう、そいつがホトケさんか。思ったよりキレイだな」
「ええよかったです。血まみれだったらどうなるかと思ってました」
「どうなるんだ」
「朝飯が口から出たでしょうね」
「おまえまだ慣れんのか。もうここ(殺人課)にきて3ヶ月になるのに」
「2ヶ月と23日です。まだ一週間の猶予がある」
「うるさい男だな。そんなことでは私のような優秀な人間にはなれんぞ」
 そういうと、銀俵はなにげに遺体の首をしめあげた。
「な、なにしてるんですか警部っ」
「いや、ずいぶんきれいなもんだから、もしかして生きてるんじゃないかと……」
「んなわけないでしょ。瞳孔ひらいてるじゃないですか」
「罠かもしれんじゃないか」
「どんな罠です」
「あらゆる可能性を疑えといっているんだ。いいか全てを疑え。犯人はおまえかもしれんし、おれかもしれん」
「なるほど。たしかにわたしかもしれませんね」
 二人が騒いでいるところへ、御鎚(みづち)警部補がやってきた。眼光が異様に鋭い。動きにも着こなしにも隙がない。なるほど、八谷署きっての切れ者というのもうなずける風貌である。
「毎度のことですが、来るのが遅いですよ、警部。鑑識ももうじき仕事を終えてしまいます。もうすこし自覚をもって行動してください」
「よーし、おまえが犯人だ」
 銀俵が突きつけた指をあっさり無視して、御鎚はファイルをめくった。
 銀俵は思った。
(つまらないやつだな。こういうやつははじめは出世するかもしれんが、人間的に魅力がないから将来(さき)は真っ暗に違いない。だいたい目つきが暗いな。生まれつきか? ふっ、かわいそうといえばかわいそうなやつだ……)
「余計なお世話です」御鎚はさえぎった。「そういうことは声に出さないでください。……では、これまでにわかっていることを簡単に説明しておきます」
「なんでおまえが」
「ほかにはそちらの新人しかいないからです。……ええ、殺されたのは大谷充。年齢32、男、身長158cm、体重74kg。○×銀行勤務。血液型B+、右利き。趣味は釣りで、好きな食べ物はいかの塩辛……」
「ずいぶん細かいな」
「死亡推定時刻は今日の午前1時から2時、死因は絞殺。ちょうど喉仏のあたりに親指のあとが見つかっています。手袋でしょうか、指紋は検出できませんでしたが、様子は想像できます。絞めるというより押しつぶすような感じだったのでしょう」
「そらあ苦しそうだな……」
「なにしろ死んでますからね……」
「きみは余計なことはいわんでいい。……ええ、まだいろいろと細かいことが並んでいますが、あとでご覧になってください。重要なのは、ガイシャの状況と容疑者についてなんです」
「ほう、もう★の見当がついているのか」
「妙な記号で話さないで下さい」
「今回のヤマは楽そうだな」
「それはわかりませんが。……まずガイシャの状況です。もうお気づきになっているとは思いますが、ガイシャの左手に……」
(安安藤君、なにか気づいたか?)
(いえなんにも)
(だめだな、指先にイブツがこびりついているのもわからなかったのか)
(まさか! さすが警部、お見それしました。で、そのイブツとは?)
(うむ、詳しくは鑑識の結果を待たねばならんが……おそらくガイシャの鼻くそだろう)
「小声で新人に嘘を教えないでください。……まあ見ればおわかりのとおり、左手にしっかりと花を握っているんです」
「鼻だって?」
 驚いた銀俵が目を向ける。
「はっはっは、そんなわけないじゃないか。君も案外冗談がうまいな」
「なにか勘違いしてますね。で、その白い花なんですが、一本きり、それも指の間から妙な角度でとび出ていますよね。……おい君、ええと」
「安安藤です」
「うん、君その花の名前を知っているかね」
「知りませんっ」
「誇らしげに言わんでいい。では警部は」
「わたしにわかるわけがなかろう」
 御鎚はさもありなんとうなずいて、
「それ、くちなしの花なんです。この辺には咲いていません。左手に一本きりのくちなしの花、なのにガイシャは右利き、しかも不自然な握り方とくれば……もうおわかりですね」
「ガイシャの精神年齢は5才だったのか……」
「どういう推理ですか。わたしが言いたいのは、これは犯人によって細工されたものだということです。メッセージのようなものかもしれません」
「例えばどんな?」
「そうですね、『死人にくちなし』とか」
「うまいことを言うな。いや褒めてないぞ」
「では、このことをふまえて容疑者たちに会ってください。ガイシャにつながる人間のなかで、最近ごたごたをおこしていた者たち、しかもアリバイもなく、近所に住んでいて、なおかつ犯行当時にこのあたりで目撃されているやつらです」
「とほうもなく怪しいな」
 銀俵警部は立ち上がると、御鎚のあとに続いた。安安藤がぴったりくっついてくる。おかげで銀俵は背中がむずむずした。

 一台のパトカーの側に、三人の男が不満気な顔をして立っていた。うち一人は付き添いの警官にしきりと文句を垂れている。警官は冷静に対処しているようである。
 男が顔を真っ赤にし、つばを飛ばしてがなっている。
「わしらだって暇じゃねえんだ。おまんま食うために働いてんだよ」
「心得ております」
「だったらはやく帰らしてくれ。だいたい朝っぱらから、非常識もいいところじゃねえか」
「もうすぐ担当の者が参りますので」
 銀俵が近づくと、赤い顔の男がぐっと彼を睨み付けた。
「おうおうおう、おまえか、ここの責任者は」
「あれ、わかりますか。やっぱり風格というやつですかな」
「いちばん歳くってるからだよ。さあ、もう顔は見せた。帰らしてもらおう」
「まあまあ、簡単な質問だけさせてください。なにたいしたことではありません。クイズ番組の優勝決定戦、あと3問正解でアメリカ西海岸2泊4日の旅と高級リゾートホテルディナー付き招待券をペアで貰えるところだと思って気楽に答えてもらえば結構ですので」
「警部、それでは気楽になれというのが無理です。しかも台詞が長い」
「うるさいぞ安安藤」
 ほかの2人から離れたところへ赤い顔の男を引っ張っていって訊ねた。
「まず、そうだな、あの人物との関係は?」
「誰のことだ、そいつは」
 御鎚がすばやく耳打ちした。
(警部、3人にはまだガイシャのことは知らせていないんです)
「そうか。……ではまず、あなたのお名前をお聞かせください」
「正直に言わねえとあとが怖ええぞ、コラ」
「安安藤、ドラマの見過ぎだ」
 男は無愛想に答えた。
「柏崎さつき」
「これはまた覚えにくい名前ですな。顔と名前が一致しない」
(警部、余計なことは言わないでください)
「失礼。では職業は」
「八百屋」
「大根だのニンジンだのを売っている店ですな」
「ほかにあんのか?」
「大谷充とはどのようなご関係で」
「どうって……」
「コラ、正直に答えねえと痛い目みるぞ、おぅ」
「安安藤、転職したいのなら止めんぞ」
 柏崎は用心深く刑事たちを見た。
「金を借りてた。ほんのちょっとだ」
「ほう」銀俵はファイルを繰って、「2億5千万がちょっととは、ずいぶん裕福でいらっしゃる」
(警部! ケタが3つ違いますっ)
「うおっ、ほんとだ。こいつは失敬」
「もうじき返すつもりだったんだ」
「しかし気が変わって殺したというのだな」
「なぬ、大谷のやつは死んだのか!?」
 わざとらしいな、と銀俵は思った。皆に聞こえた。
「今日の午前1時にはどこにおられました?」
「家で寝てたよ」
「証明できます?」
「……できねえ」
「そりゃまたどうして」
「できねえ……できねえよ」柏崎はうつむいたが、いきなり泣き出した。「女房 が子ども連れて出ていっちまってよぉ、いまは一人なんだよ。どうしろっていうんだよぉ」
「以外とモロいな。それじゃ奥さんも逃げる」
「佳代子~!」
「警部、あまりいじめないでください」
「ええっ、もうすこしいいじゃないか」
 結局、柏崎氏はそれ以上質問に答えられず、家まで送り返された。

 次に呼ばれたのは大柄な男で、関根俊作と名乗った。しきりと犯行現場を気にしていて、殺人があったと聞くと目を丸くした。
「大谷充という人物を知っていますか?」
「ええ、お金を少々借りておりました。え? 5百万ほどです。もうじき返そうと思っていたんですが」
「5百万……いったい何のために?」
「店を改装しようと思いまして」
「改造ですか。空を飛ぶとか、合体するとかですな」
「違います」
「……お仕事はなんでしたかな」
「花屋を経営しております」
「くちなしの花をごぞんじで?」
「それは何かの冗談ですか?」
「あなたが借金をしていることをほかの人は知っていましたか?」
「さあ。家内には話しましたが、ほかにはこれといって話していませんね」
「誰かに恨まれていませんか」
「花屋がですか?」
「花屋だろうが肉屋だろうが、恨まれるときは恨まれるでしょう」
「さあ、身に覚えはありません。ですが……」
「ですが?」
「亡くなった方を悪く言うのもなんですが、大谷氏はあまり人によく思われな い性格のようでしたなあ」

 3人目は新田吉保といった。仕事場からそのまま来ましたというような作業衣すがたで、実際仕事場から連れてこられたという。
「職業は」
「はあ、電気屋です。アイロンだとか洗濯機だとかの修理もやってます」
「昨日の夜から今日の朝にかけて、どこで何をしていました」
「預かっていたテレビを直してました。まだ修理の途中です」
「どれくらいの時間やってましたか」
「以外と熱中しまして。夜中じゅうやってましたかな」
(根暗だな)
(警部、聞こえてますよ)
「大谷充とはお知り合いですね」
「彼に金を借りとりまして。なかなか返せんでして、このあいだもちょっとした口論になりました。こっちが悪いとはわかっているのですが、あの男があんまりねちっこいので」
「それで殺したのか」
「ええっ、あの人は殺されたんですか。いつ、どこでです?」
(しらじらしいな)
(警部、だから聞こえてますって)
「……さっきまで一緒にいた連中に見覚えはありますか」
「いえ、まったくの初対面で」
「趣味はありますか」
「わたし? いえ、そうですね、たまに野球を見るくらいで」
「盆栽なんかをやっていそうですが」
「いやあ植物のことはよくわからんです。機械のほうが好きですな」
「ちょっとわたしを持ち上げてみてくれませんか」
「なぜです」
「さもないと逮捕しなくてはならんので」
「めっちゃくちゃですな」
「はやくしろ」
「わかりましたよ……ほれ」
「ご協力、感謝します」
 新田が帰ると、銀俵は御鎚に言った。
「よし、あとはおまえの好きなようにしていいぞ。わたしと安安藤はもう 帰る」
 御鎚が遠慮なく行ってしまうと、安安藤は不満そうに言った。
「もう帰るんですか。まだ昼前だっていうのに」
 銀俵は車に乗り込みながら答えた。
「いいんだ、もう犯人はわかっているからな」

 帰りの車の中で、銀俵は安安藤に言った。
「誰が犯人だか、もうわかったな」
「やっぱり花屋の関根ですかね。くちなしの花のことを考えると。あとの2人は草花とはまったく無縁そうでした」
 銀俵は鼻をならした。
「それくらいしか考えられんからまだ青いというんだ」
「というと?」
「いいか、普通に考えれば確かに関根が怪しくなるかもしれん。だがよく考えてみろ、それではまるでわたしが犯人ですと言わんばかりではないか」
「はあ」
「ホシは頭がいい。人一人殺しておいて、わざわざメッセージを残していくほど冷静だし、それはつまり計画的だということでもある」
「しかしあれがメッセージだとは限らないのでは……」
「ほかに何がある? あれはある種のメッセージさ。関根が犯人だと我々に思わせるための、いってみれば罠だ」
「では誰が……」
「よく考えろ。いま言った理由で、まず関根はシロ。次に柏崎もシロ」
「そうなんですか?」
「わかってないな。新田は夜中じゅうテレビの修理をしていた。きっとドライバーやら半田ごてやら、ネジやらビスやらをいじくっていたのだろう」
「そうなるかなあ」
「おまえもやってみるといい。細かい仕事を長時間続けた後、すぐに力仕事をしようとしても、うまく力が入らないものだ。例えば人を持ち上げたり、人の首を絞めたりするときはな」
「そんなものですか」
「新田は嘘をついた。だから犯人は新田。よって柏崎はシロ」
「逆さの論理ですね」
「うむ、まあ見ていなさい。やつの逮捕は時間の問題だ」
 銀俵は言い、彼方の空を見やってそっとため息をついた……。


 3日後、御鎚警部補が花屋の関根を逮捕した。彼は犯行を認めたという。くちなしの花については、「なんとなく手に持っていたのを、もみあったときに奪われたのでしょう」とのこと。御鎚は最初の尋問で彼に目をつけていたという。

 安安藤はそのことを銀俵に伝えた。
「やはりな」
 警部はそう言ってにやりと笑った。


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