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荒れる海を眺めるのが、彼は好きだった。 コートをはためかせる風、そのたたきつけるような冷たさ、その匂い。前に一歩踏み出せば黒々とした海に落ち込んでしまう、桟橋の突端。 空洞寺権助はまっすぐ前を見つめた。 水平線が見える。天と地とを分け隔てる境界、たどりつくことのない世界の果て。木切れのように見えるのは漁船のマストだろう。波と風とにいいようにあおられるそれはあまりに弱くもろく、生きている人間がそこに乗っているとはとても思えない。彼らは何ゆえに海に乗り出したのか? 空洞寺にはわからない。 思えば彼自身も似たようなものだ。探偵という職業は人の海に乗り出す小舟である。人を見、人を探り、人を暴く。その作業ははたして必要なものか? 否、である。知らずに済ますことができることを、人は知りたがる。そうせざるを得ない。それが人間というものだと、彼は思っている。 突風。向きを変えて襲ってくる風。空洞寺は海を見続ける。 気配があった。振り返る前に、空洞寺はつい、推理してみる。 あえて彼の背後に立つ人間はそうはいない。ましてやこの風である。用もなくこんな場所にくるものはいないだろう。声をかけてこないのは、空洞寺が振り返るのを待っているからだ。彼の知る限り、そのように行動する人間は3人しかいない。そのうち1人は日本にいない。もう1人はこの世にいない。 「どうした、恵くん」 呼びかけながら、空洞寺は後ろを向いた。小柄な女性が立っていた。無造作に束ねた長い髪、かたく引き結んだ口、涼しげな目。表情はかたく、感情は表に現れていない。空洞寺の秘書兼パートナー、恵・ホワイトに相違なかった。 「ボス……」 彼女は何か言いかけて、ふいに口をつぐんだ。恵がいいよどむことなど滅多にない。 「ああ」 空洞寺は背中に迫る荒波を感じながら待った。恵・ホワイトが感情的になるとすれば今しかない、そんな考えが頭をかすめた。ここには人を落ち着かせるものは何もない。普段は隠されているものが、むりやりに外にひきずり出される、そんな力のみが、ここにはある。空洞寺は静かにそのときを待った。 恵は開きかけた口を閉じ、そしてまた開いた。 「ボス……、鼻水が出てますよ」 彼女は表情一つ変えない。憎い女だ、と空洞寺は思った。 「寒いのならはやく戻ればいいんです。子どもじゃあるまいし」 「ああ…私も引っ込みがつかなくて困っていたんだ」 「何に対しての引っ込みです?」 「自分に対して。それに……」 空洞寺は少し間をおいた。 「世界に対して」 「意味がわかりません。そんな暇があるなら仕事をしてください。風邪をひいても医者にかかるお金はありませんから」 「そうだな。ああ、たしかにそうだ」 空洞寺は肩越しに振り返った。泡立つ海、吹きつける風。ああ、これ以上ここにいたらくしゃみが出そうだ。 彼は恵に向かい、優しく言った。 「恵くん……寒いからそろそろ帰ろうか」 答えもせず、彼女はくるりと回れ右をした。そしてすたすたと歩きだした。 空洞寺はその背を見つめ、ふっと笑った。それから急いであとを追った。 続く
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