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恵・ホワイトが朝食をつくってくれるという。 空洞寺権助はそれを「奇跡」と名づけた。恵がいわゆる女性らしい仕草や仕事をするところを彼はこの数年ほとんど見たことがない。人生にはときとして予想もしないことが起こる。加えていうなら、そのようなことはなぜか一度に起こるものだ。彼は探偵という職業柄それをよく知っていた。 真っ白なテーブルクロスをまえに席につく。狭いオフィスにつくりつけのキッチンから朝の匂いが流れてくる。テーブルに落ちる光と影。外はよい天気だ。こんな朝にはそうそうお目にかかれるものではない。 やがて、皿をのせた盆を両手で捧げ持つようにして、恵がキッチンから現れた。きつね色のトーストに目玉焼き。焼きたてのソーセージが皿を埋めつくすように並べられている。彼女はそのまま、ものも言わずに皿をテーブルに置いていく。手際のよさは仕事のときと同じである。 最後に空洞寺の前に置かれたのはコーヒーのカップ。ブラックは恵の好みであって空洞寺の好みではなかったが、彼は何も言わなかった。 恵は何も言わずに席につき、さっさと食事を始めた。空洞寺はもごもごとお礼らしき言葉をつぶやいてから食べ始めた。それきり会話はなく、食器のたてる高い音だけが耳に響く。恵は話さない。空洞寺も話さない。 静かな朝を引きさくように、電話が鳴った。 反射的に空洞寺は受話器を取った。 「たっ、助けてくれっ」 空洞寺の耳にとびこんできたのは、男の悲鳴だった。 「もしもぉし? こちらは空洞寺探偵事務所。お名前は?」 相手を落ち着かせるためにのんびりと言ったのだが、言葉は途中で遮られた。 「だ、誰か助けてくれ。助けてくれ。おれは……だめだ、だめだ」 「もしもし? 落ち着いて。いいですか、よく聞いて下さい――」 男の声がさらに高くなった。 「ああ……だめだ。おれはもうだめだ。誰かいるか。誰か聞いてくれ。誰か来てくれっ!」 「もしもし、もしもし?」 空洞寺はちらりと恵を見た。恵も何かを察したように空洞寺を見返した。 男が叫ぶ。 「助けてくれ。殺される。このままじゃおれは殺されちまう! なあ頼む、助けてくれ、おれを見捨てないでくれっ!」 同じような言葉を繰り返す男。その声の調子が、ふいに変わった。 「……あ、あんたは……まさか……。そんな……嘘だろ? なあ、おれが悪か……わ、やめろ、やめてくれ、そんなことして何になるんだ? やめろ、おい、まて、わ、わ、 うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」 ガチャッ プーッ プーッ プーッ…… それきり男の声はしなくなった。 空洞寺はゆっくりと受話器を置いた。そしてのろのろと頭を上げ、恵に言った。 「恵くん……すまんが塩を取ってくれんか?」 恵は塩の入った小瓶を投げてよこした。空洞寺は目玉焼きにたっぷり塩をふった。 静かな朝は何事もなく過ぎていった。 続く
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