ホーム > ナンセンス > 警部・銀俵 > 第3話 密室殺人事件 |
「遅いじゃないか、銀俵(ぎんだわら)警部補」 御鎚(みづち)警部はやってきた男をじろりと睨んだ。その鋭い視線はこれまで数多くの犯罪者を恐れさせ、犯行を自供させてきた。しかし銀俵はあっさり受け流した。 「いやあ警部、おはよう……いや、こんばんわ、と言ったほうがいいかな?」 「渋めに言っても通用せん。毎度のように遅れるんだな、君は」 「それがわたしのモットーですので」 「妙なモットーなどいらん。そんなことだから降格処分など受けるんだ。少しは反省するがいい」 「ょけぃなぉせゎだ」 「やめい。脅迫文みたいで気味が悪い」 二人が騒いでいるところへ、安安藤(やすあんどう)刑事がアンパンを抱えて現れた。 「あっ、銀俵警部補。今日はもう会えないのかと思いましたよ」 「おまえの顔を見るとほっとするんでな」 「そう言ってもらえるとうれしいです」 「なに言ってるんだ。私ときみとの仲ではないか」 「二人で気色の悪い会話をするな。安安藤、そのパンはなんだ」 「アンパンです。……あ、こしあんです」 「違う。なぜそんなものを持ってきたのかと聞いているんだ」 「なぜってお腹が減ったから」 「おっ、安安藤、今のは語呂がよかったぞ」 「気づきました? 最近ちょっと凝ってるんですよ」 「凝る必要はない。腹が減るのは仕方がないが、勝手に持ち場を離れんでもらいたいな」 「わたしが買いに行ったんではないです。近所のおばさんが届けてくれまして」 「下町にはまだ人情というものがカビのように残っておりますなあ、警部」 「不自然な例えを使うな。……まあいい。わたしはこれから本部に戻らねばならん。安安藤、あとは銀俵と組んで捜査に当たってくれ」 「はい、警部」 「あ、警部ぅ~。質問があるんですけどぉ~~」 「気色悪いからやめろというに」 「警部はいつまで現場を離れていらっしゃいますのでしょうか」 「……実はもうひとつ込み入ったヤマがあってな。もしかしたらそちらに配置されるかもしれんのだ」 「そうなるとこちらのヤマはわたしと安安藤の二人で――?」 「その可能性はあるな」 「やったね」 「まだ決まっていない。可能性があると言ったのだ」 「でも期待していても構わんでしょう? 人はどれほど苦しいことにも耐えられる。それは心に希望という支えがあるからなのです……」 「そんな台詞は教育番組あたりで吐きたまえ。とにかくあとは任せる。安安藤、頼んだぞ」 「はい警部」 御鎚はひとつうなずくと足早に去っていった。 「……」 「そうなんですか?」 「まだ何も言っとらん。……まあいいや。やっとうるさいのが消えたんだ。どうせだから永遠に消してやったほうがやつ自身のためにもなるかもしれんがな」 「自己中精神にあふれた解釈ですね」 「そうだ、おまえも手伝わんか? 今夜あたり、後ろからばっさりと――」 と、背後からとつぜん御鎚の声が。 「そうだ言い忘れていたが」 「きゃあぁぁぁぁ殺されるぅぅぅぅ!!」 「いちいち騒ぐなーーーっ!!!」 「おっ、警部もだんだんノリやすい性格へと変貌しつつありますな」 「誰がだぁぁ……ぐほん、それよりひとつ言い忘れていたことがあって戻ってきたのだ」 「なんでしょうか」 「安安藤、きみはいい。おい銀俵」 「へい」 「アンパンを食うのはいいが現場を散らかすな。ではさらばだ」 「……」 そして再び、御鎚は去っていった。 「……」 「……行ってしまいましたね、今度こそ」 「おちょくるためにわざわざ戻ってきたのか、あいつは」 「いえ、おそらく本気で心配したのでしょう」 「その返答も引っかかるな。まあいい、わたしは仕事熱心なんだ。遅くなったが事件について聞かせてもらおうか」 「いいですよ。例によって分厚いファイルを作ってありますから」 安安藤はそう言って、懐から巨大なファイルを取り出した。 「おまえの裏ポケットは4次元か?」 「ガイシャは――遠藤幹夫。年齢90」 「90? じゃあいいじゃん。人間あきらめが肝心だよ」 「何を言うんです。……男、身長155cm、体重49kg。旧国鉄に定年退職まで勤めあげる。血液型A+、右利き。趣味は鉄道模型、好きな食べ物は各地の駅弁……」 「『世界の車窓から』みたいなじいさんだな」 「『列車は、次の目的地バイセンに向かいます』とかいうあれですね」 「おっ、真似がうまいじゃないか」 「これでも『車窓から』は初回から毎回欠かさず見ていますから」 「どえらい趣味だな」 「死亡推定時刻は昨夜の9時から11時くらい。凶器は包丁で、腹部を刺されてほぼ即死だそうです。また部屋が荒らされた跡があり、金めのものが盗られていることなどから、強盗の線が濃厚と見られています……が」 「思わせぶりだな。して何があった」 「まあ、まずは現場を見て下さいよ」 安安藤に案内されて、銀俵は犯行があったというアパートの一室に足を踏み入れた。 「ずいぶんぼろっちいアパートだな。おまけに臭いし、騒音もひどい。わたしの家に勝るとも劣らない」 「言ってて虚しくなるセリフですね……ってなにやってんですか警部補」 「いやなに、面白そうなものがあったんで遊んでいるんだが」 「そりゃ遺体の位置を示す白線ですよ。隣に寝転がってどうするんですか」 「ほらほらみてみて、おんなじ格好~!」 「何か辛いことでもあったんですね。……ガイシャの第一発見者はここの管理人です。今日会う約束があったというガイシャの囲碁仲間が、遠藤氏が出てこないことに激怒しドアを蹴破ろうとしているのを見て、慌てて止めたのがきっかけとか。マスターキーでドアを開けて入ったところ、ガイシャが部屋のまんなかに転がっていたというわけです」 「その囲碁仲間とやらも高齢者か」 「小学校時代からの友人だそうです」 「まあこのドアなら老人でも蹴破れそうだな」 「ええ、試してみましたがわたしでも蹴破れました」 「物騒な」 「問題はここからです。今言ったように、ドアには鍵がかかっていました。管理人はなかなか冷静な男でして、そのとき部屋の窓にも鍵がかかっていたのを見たと言っています。他に出口はなし。屋根裏も、2階ですから地下室もありません。下の部屋には人が住んでます。つまりいわゆる」 「袋のなすび」 「微妙に違ううえに言葉自体も間違ってますね。いいのは語呂だけだ。わたしは密室だと言いたかったんです」 「おまえなんだか御鎚に似てきたな」 「実は今回もホシの候補はすでに挙がっておりまして」 「用意がいいな。さっそく説明してくれ」 安安藤は素直にファイルを繰った。 「全部で3人です。まずは坂東井之吉、32歳。職業は木こり」 「木こりか。懐かしいな。あの頃を思い出す」 「なんだかすごい経験を物語るセリフですね。……次に堺一平太郎、44歳。職業は刀匠」 「闘将か。いまどき珍しい職業だな。しかし相手は誰だろう」 「たしかお年寄りが多かったと思いますが」 「それでは力のふるいようがないだろう。まさに力の持ち腐れだな」 「話が微妙に食い違っている気がしますね。……で、最後の一人が二宮漸次朗。12才、学生」 「江戸風な名前ばかりだな。渋い。わたしの好みだ」 「じゃなくて。せめて12才というところで突っ込んで欲しかったんですが」 「残念だったな。わたしはそんなことに気をとられはしない。子どもからお年寄りまで、幅広い年齢層に支持されているのが犯罪というものだ」 「遊園地のキャッチフレーズみたいですね」 「しかるにわたしの勘はもう犯人を告げているぞ。二宮だ。やつがやりそうな犯罪じゃないか。というよりやつで決まりだな」 「お知り合いで?」 「旧知の間柄といってもいい」 「12才とですか?」 「甥っこなんだ」 「おや身内でしたか」 「しかもやつには前科がある。わたしが吸えなくなったのも、注射がいやになったのも、薬をとれなくなったのも、すべてあいつのせいなのだ」 「聞きようによっては誤解されそうですね。警部補のほうが前科ものみたいだ」 「余計なことに気づかんでいい。それで、なぜその3人が候補にあがったんだ」 「近所のおばさん2名が夜間に立ち話をしていたところ、その3人がガイシャの部屋に入るところを見たそうなんです。残念ながらその順番まではわからないし、出てくるところはどれも見ていないというんですが、3人が部屋に入ったことははっきりしているということです」 「最後に出てきた人間が当然もっとも怪しいんだがな」 「ええ。しかも現場は密室。いったいどうなっているんでしょう」 「まあまて。わたしが見てみようじゃないか」 銀俵はぐるりと部屋を見回し、ある一点に目をとめた。 「おいあれは何だ。ドアのところについている銀色の物体だが」 「郵便物の投入口です。ていうか見たまんまだと思いますが」 「その真下に木屑が散っているがあれはなんだ」 「木屑でしょう」 「その隣に糸の切れ端のようなものが落ちているがあれは」 「おそらく糸の切れ端だと思われます」 「うむ、謎は解けた。よって犯人もわかった」 「うわっ、今回はまたえらい高速ですね」 「アンパンをよこせ。それを食いながら説明してやろう」 「さてもうわかっただろう」 「まだアンパンひと口食べただけですが」 「アンパンでもメロンパンでも同じことだ。おまえの考えを聞かせてみろ」 「木屑からして木こりの坂東でしょうか」 「ふっ、これだからノーマルな頭脳は。もうちょっと高品質なものに変えたまえ」 「そうですね。では週末に脳外科にでも行ってきます」 「生きて帰れよ。……さて、ここで問題になるのは密室のトリックだが――」 「そうか糸切れだ。糸を郵便受けから外へ通して、内側では錠にゆわえつけ、外から施錠できるようにしたんだ。それから外側から引っ張って糸を回収しようとしたが、何かの拍子に先っぽがちぎれて部屋に残った。そうですね?」 「違う」 「はっきり言いますね。じゃあどうだっていうんです」 「騒ぐな。そのアンパンを貸してみろ」 「でもこれわたしの――」 「いいからよこせ」 「横暴だあ」 「これを使って説明するだけだ。余ったら返す。……いいか、この事件は密室のトリックがすべての鍵を握っている。事件解決の鍵も、この部屋の鍵も」 「うまいんだか下手なんだかわからない名句ですね」 「安安藤、おまえ密室とはどういうものか知っているか」 「そりゃ、人が出られない空間でしょう」 「なぜ出られない」 「出口がないから」 「言いかえれば『人が出ることのできる大きさの出口がない』ということだ。そこに盲点がある。例えばこのアンパンを見てみろ。この大きさだと私の口には入りきらんな。ところがこうやって――」 銀俵はやにわにアンパンを握りつぶした。 「あああぁあぁあぁあっ!!」 「死にそうな声を出すな。たかがアンパン、されどアンパンだ」 「どっちですか」 「見かけにとらわれてはいけないと言っているのだ。この大きさになってしまえば、これまで通れなかった空間も……」 銀俵はつぶれたアンパンを口にむりやり押し込んだ。 「ほのほおいほおへるようひなふ」 「『このとおり通れるようになる』じゃありませんよっ」 「よく聞きとれたな。……つまりだ。密室のように見えたこの部屋にも、実は出口があったのだよ」 「ほんとですか」 「そしてそこを通れたのは一人だけ。つまりそいつが犯人。だから犯人は二宮」 「順をおって説明してくれないとわかりませんって」 「脳味噌をふりしぼるがいい。出口といえばドアについている郵便受け、あれしかないだろう。あんな小さい場所から出入りできるのは二宮しかいない」 「いくら子どもでも無理ですよ。幅10cmもないじゃないですか」 「ほかに考えられるか? なら32歳や44歳にならできるというのか!?」 「熱くなられても……」 「まだ証拠はあるぞ。木屑と糸切れだ。木屑は木こり、糸切れは闘将をはめるための罠でしかありえんだろう」 「今回の推理はいつにもまして豪快ですね。木屑はともかく、糸切れがなぜ刀匠に関係するんです?」 「たしかに、誰だって糸屑くらい服にくっつけているだろう。だがあの糸屑の切れ端を見てみろ。鋭利な刃物ですぱっと切ったように見えないかね」 「あっ」 「これで決まりだな。犯人はわたしの甥、二宮!」 「でも警部補、肉親を捕まえるのは辛くないですか?」 「犯罪者に肉親も何もないさ。これも運命というやつだろう……ふっ、正義の使徒はつらいな」 「でもなんだかうれしそうだ」 「いいから行って捕まえてこい、安安藤!」 「はいっ!」 「いいか絶対逃がすな。叩き殺してでもお縄にするんだ!」 「はいっ! 警部補の個人的な復讐に一枚噛む覚悟で臨みます!」 駆けていく安安藤を見送って、銀俵は天井を見上げてほくそ笑んだ……。 翌日、御鎚警部は坂東を殺人容疑で逮捕した。部屋に散乱していた木屑がなによりの決め手となったという。郵便受けから通した糸を使って部屋を密室にしたのは、「つい成行きで人を刺してしまったことで動転し、何か細工をしていかないと不安だったから」だと犯人自身が語った。方法は推理ドラマで見たのを思いだし参考にしたという。 安安藤はそのことを銀俵に伝えた。 「やはりな」 警部補はそう言ってにやりと笑った。 ・第4話へ ・「銀俵」へ |