神様のお使い


 その小さな町には今日も、雪が降っていた。
 十歳くらいの青い目をした少年が、街路に積もった雪を踏みしめ踏みしめ、ある家を探しながら歩いていた。彼はその小さな両腕に小包を抱えていた。乾いた土の色をした包装紙に、彼が訪ねるべき家の住所が書かれていた。少年は小包の宛て先と家々の住所を交互に見比べながら、昼でも人通りの少ない道をせっせと歩いていった。
 やがて彼は、こじんまりしたレンガ造りの家の前で立ち止まった。毛糸の帽子とマフラーの間から、きらきらした瞳をのぞかせて、住所をしっかり確認する。そこが目的の場所だと分かると、彼は背伸びをしてドアの呼び鈴を二度鳴らした。そして荷物を大事そうに胸に抱え直し、家の主が出てくるのを待った。
 ドアが開き、白髪の老婦人が顔を出した。たくさんのしわに刻まれた顔には表情らしきものは認められず、虚ろな目は街路に向けられさまよった。やがて、背中がすっかり曲がった彼女よりも頭一つ分低いところにある小さな男の子の顔を見つけると、目をまん丸にした。少年はにっこり笑って言った。
「カタリーナさんですね。お届け物を持ってきました」
 老婦人は目をぱちぱちさせた。
「おやおや、こんな小さな配達夫さんが来るなんて。お父さんのお手伝い?」
「ぼく、ちゃんとした配達夫ですよ」
 少年は胸につけたバッジを誇らしげに見せた。老婦人はまあまあ、と驚きとかすかな喜びの声を上げながら、ドアを大きく開いた。
「疑ったわけじゃないのよ。お仕事がんばってるのねえ。あら、傘も差してないの。それじゃ風邪をひいてしまうわよ。ちょっと上がっていきなさいな。今日の雪はまた一段と寒いからねえ」
 招かれるままに少年は家の中に入り、薄暗い室内を見回した。老婦人は奥の部屋を指し示した。
「あの部屋に暖炉があるわ。少し温まっていきなさいな」
「この荷物はどこに置きましょうか?」
「じゃあ、暖炉の前のテーブルに置いて頂けるかしら」
 少年はうなずいてとことこと歩いていった。足の悪い老婦人は、杖をつきながら少年の後を追う形になったが、少年の後姿を見てふと首を傾げた。外はまだ雪が降り続いているというのに、少年の上着の肩にも、帽子の上にも雪が積もっていないのだ。よく晴れた空の下を散歩してきたみたいに、少年の服はすっかり乾いている。
 しかし老婦人はそのことを格別気に留めなかった。彼女の乾いた肌と同様、老いて乾いてしまった彼女の心には、少しくらいの不思議は響かないのかもしれなかった。
 奥の部屋では暖炉の火がぱちぱちとはぜ、温かな黄色い光を投げかけていた。しかしその明かりは十分とはいえず、部屋の反対側の隅には闇がわだかまっていた。天井から下がった古めかしいランプには火が入っていなかった。
 分厚い窓ガラスを通して、外の世界が歪んで見える。無数の白い大きな塊が天から降り続いていて、それがもたらす冷たさのいくぶんかは暖炉の炎の力に屈することなく、部屋の中にまで染み入ってきていた。部屋の隅の小さな本棚には、何度も読み込まれ、カバーが擦り切れてしまった本が収められており、薄暗がりで寒さに震えているかに見えた。
「さあ、椅子にお座りなさい。どちらの椅子でもいいわよ。ここにはもう私一人しか住んでいないし、友達が遊びに来ることも滅多にないの」
 少年は荷物をテーブルの上にきちんと置くと、素直に肘掛椅子の一つに腰を下ろした。椅子はそれほど高くなかったが、少年の足は宙でぶらぶらしていた。やがて老婦人が片手に杖を、片手に盆を持って、ゆっくりバランスを取りながら部屋に入ってきた。少年は老婦人の言いつけを律儀に守り、椅子に座ったまま、老婦人が緩慢な動作で彼にカップを差し出すのをただじっと見守っていた。
 ホットミルクの甘い香りが漂った。
「お腹は空いていない? ニシンのサンドイッチはいかがかしら?」
「ありがとう。でも大丈夫です」
 老婦人はもう一方の椅子に腰を落ち着けると、ふうと長いため息をついた。そして自分宛てだという小包に目をやった。それもやはり、濡れたあとがどこにもなかった。
「誰からだろう……差出人が書かれていないわね」老婦人はしばらく箱を回しながら眺めていたが、澄んだ青い瞳がじっと包みに注がれていることに気づいてにっこり笑った。「何が入っているのか、気になるわよねえ。よかったら一緒に開けてみない? それとも次のお仕事があるのかしら?」
 少年は首を振った。「今日のお仕事は、これが最後なんです」
「じゃあ、何が入っているのか一緒に見てみましょうよ。一人より二人で見たほうが、きっと楽しいわ」
 老婦人はしなびた細い指を器用に動かして、紙包みをほどいていった。中にはほぼ真四角の、ボール紙の箱が入っていた。少年にいたずらっぽく目を向けてから、老婦人は箱のふたをゆっくりと開いた。身を乗り出して中をのぞいて「まあ」と言い、中身をどうにか箱から取り出してテーブルに据えるとまた「まあ」と言った。
「スノーボール。きれいねえ。大きいわねえ」
 それは木の台座に取り付けられたガラス製の球体で、その内には小さな世界が閉じ込められていた。何本かの松の木、小川を表すビーズでできた筋、その川に架かった木製のしっかりした橋。そしてちょうど家の外に降っているのと同じような雪が、その小さな世界にも舞い降っていた。雪は球体の上のほうにふわりと現れ、地面や橋や、木々の梢に降り積もる。しかしどういう仕掛けか、景色がすっかり雪に埋もれてしまうことはないのだった。
「よくできているわねえ」
 老婦人はマントルピースに置かれていた老眼鏡を取り、球体の中をもっとよく見ようとした。
「あなたもよく見てごらんなさい。小さいけれどまるで本物の景色を切り取ってきたみたいだわ」老婦人はふと黙った。「本当に、まるで本物のよう……」何かを懐かしむように、その目が細まった。「ねえ、スノーボールの言い伝えって、あなた知ってる?」
「いいえ、カタリーナさん」
「このあたりの古い言い伝えでね、心を込めて作られたスノーボールには、思い出が宿ると言われているの」老婦人はじっと作り物の世界に見入った。「私、この景色に見覚えがあるわ。ずっとずっと昔、私はこの橋を渡ったことがある……」
 薪がはぜ、炎が揺らいで部屋中の影を踊らせた。老婦人の大きな影は壁と天井を横切り、自分の姿に怯えるように震えた。
「私は、この橋を……」
 と、球体の中に、まるで舞台の袖から出てきたように、一人の若い女が現れた。人形にはとても見えなかった。小さくなってしまっただけの、血の通った本物の人間のように、その動きは滑らかで生き生きとしていた。女は小走りに橋に駆け寄り、しかしその手前でためらって足を止めた。女は萌葱色のワンピースを着、その上に白いコートをまとっていた。
「これはどういう……」老婦人ははっとして顔を上げた。少年と目が合った。しかし少年のおそろしいほど澄んだ瞳には、不思議なことなど何一つ起きていないとでもいうように、どんな感情も浮かんでいなかった。
「この女の人は、カタリーナさん?」
 訊ねられて、老婦人はスノーボールへとゆっくり目を戻した。女は橋の手前で傘も差さず、雪に降られながら、しかしまったく気に留めていないかのように辺りを見回している。
「そう……そうね、たぶんこれは私……」
 そのとき橋の反対側から、もう一人の人影が現れた。今度こそ老婦人は息を呑んだ。黒いコートに身を包み、やはり傘も持たずに、男が橋に向かって歩いてくる。二人ともこの天気で傘を持たずにいるのは、道すがら降られたのだろうか。やがて男は橋の向こうの女に気づき、そのときには女も男の姿を認めていて、二人は橋の真ん中で寄り添った。
「そう……あの人、あの人だわ」
 老婦人の上ずった声に、少年が無邪気に訊き返す。
「あの人って?」
「あの人。エバレット。ずっとずっと昔の、私の……」
 老婦人はほとんど額をガラスにくっつけて、中で起きている出来事を食い入るように見つめていた。男と女は何か話している。女がくすくすと笑い、しかしすぐに笑みを消し、不安そうに男を見上げる。男はなだめるように女の肩に手を置く。二人の声は聞こえそうで聞こえない。薄いガラスは内なる世界の音をすっかり封じ込めている。いくら耳を澄ませても、聞こえるのは暖炉の中で火に炙られる薪の音だけ。
「とても大切な、大切な人だったの」老婦人は遠い記憶の糸をそっと手繰り寄せるように、小さな声で続けた。「あのとき私は、まだ二十歳にもなっていなかった。彼は三つ年上だったわ。私たちは夏至のお祭りのときに出会ったの。知り合ってから半年も経っていなかったけれど、私はあのときにはもう、あの人を自分の一部みたいに感じてた。一日も、いえ一時間でも離れていると胸が苦しくなるほどに。たぶん、あの人だってそう。なのにあのとき、あの人は……」
 女は必死に男に何か言い募っている。男は首を横に振り、それから女を抱きしめ、その額にキスをした。身を離した男は穏やかに微笑んでいるが、女は今にも泣き出しそうだ。そして男は二言三言口にすると、もと来たほうへと去っていった。一度しか振り返らなかった。女は橋の上に立ち尽くし、男の去った方角をずっと見つめて続けた。そのブロンドの頭に、コートの肩に、雪は切々と降り積もっていく。
「あの人は外国に行こうとしていたの。もっとたくさんのお金を稼ぐために。あの頃私たちが住んでいた町は、この町よりずっと大きかったけれど、できる仕事は限られていたの。あの人は冬の長いあの土地から離れて、自分の力を試そうとしていた。三年待っていてほしい、三年したら必ず一緒になろうと言ってくれたわ。もし事業が成功を収めたら、私を自分の元へ呼び寄せる。もし失敗してしまってとしても、必ず戻ってくる、そうしたらこの橋でまた会おうって、そう言ってくれた。でもね、そのどちらも実現しなかった」
「どうして?」
「火事に遭ったの。外国に移り住んだ、その日に。同じ建物の住人の、火の不始末が原因で」
 暖炉の薪が崩れ、一瞬炎が大きくなった。親しみを見せていた明かりはその瞬間、凶暴な色へと姿を変え、球の中の世界を、老婦人の張り詰めた横顔を、赤く赤く染め上げた。
「もし私が引き止めていたら、あと一日だけでも旅立ちを待ってもらっていたら、あの人は助かったかもしれない。訃報を聞いた私は自分を責めた。責めても仕方ないと分かっていても、責めずにはいられなかった。そんな悲しい知らせなど嘘だと信じようともした。でもあの橋も、その翌年の夏に、山火事で焼け落ちてしまった。私のすがるような、愚かな思いをあざ笑うみたいに」
 スノーボールの世界からはいつの間にか、女の姿が消えていた。誰もいなくなった橋に、白い雪が音もなく降り重なっていく。
「それから私は、あの町を離れた。思い出ばかりの町にいるのがつらかったから。そうして彼とは反対に、もっと北にあるこの町へと移り住んだ。身寄りはなかったから、どこへ行ってもよかったの。でも私の足は南へだけは向かおうとしなかった」
 再び女の姿が橋の近くに現れた。それを見て、老婦人は寂しそうに笑った。
「思い出ならもういいわ。繰り返してもらう必要なんてないのに」
 と、その笑みが消えた。老婦人は震える手で眼鏡の位置を直し、球の中の世界を注意深く見つめた。興奮のあまり、ほとんど席から立ち上がっていた。女の服がさっきと違うことに気づいたのだ。白いコートの下に、白い花柄のセーター。
 そして橋の反対側から、あの男が現れた。女の姿を見つけ、手にした傘を冗談ぽく傾けてみせる。
 二人はまた、橋の真ん中で向かい合った。傘の下で二人は抱き合い、言葉を交わし、泣きながら笑いあった。そして女の来たほうへと二人並んで……。
「違う、違うわ。あの人はずっと昔にいなくなってしまった。あの橋ももうない。私は北の町に一人で移り住んだのよ」
 球の中に激しく風が吹き荒れ、一瞬世界はめまぐるしい白銀の乱舞に埋め尽くされた。風が止むと、舞台はすっかり変わっていた。なだらかな丘と、ところどころに生えた天を突くような針葉樹。納屋のある、急勾配の屋根のついた家と、家畜のための囲い柵。変わらないのは空模様だけだった。丘に敷き詰められた純白の絨毯。止む気配のない大粒の雪。
「そう……私たちは冗談で言っていたわ。もし彼が腕試しに失敗して戻ってくる羽目になったら、町を離れて二人で暮らそう。山羊を飼って、家族を作って……」
 家の戸が開き、四、五歳くらいの子供が二人、元気よく飛び出してきた。兄妹のようだ。その後ろからマフラーを手にした女が走り出てきて、妹のほうに追いつくと後ろから抱きしめ、ほっそりした裸の首にしっかりマフラーを巻きつけてやった。少し年をとってはいるが、紛れもなくその女は、橋に佇んでいたのと同じ女だった。そして葉巻を吹かしながら悠然と、遅れて外に出てきた長身の男は、女が橋の上で別れ、橋の上で再会したあの男。
「でも、こんなふうにはならなかった。私は、私は……」老婦人の声はかすれていた。「私は酪農家の働き口を見つけて、そこの末っ子の三男と結婚した。決して悪い人ではなかったわ……寡黙で、愛想がいいとはいえなかったけれど、いい人だった。働き者だった。でも子供は授からなかった。いえ、一度授かりはしたのだけれど、流産してしまった。名前も決めてあったのに。この子たちは……この子たちはたぶん、バートとグロリアという名前なのね」
 彼女が見つめるガラス球の中で、色とりどりの景色が現れては消えた。大きな焚き火と、それを囲んで歌う大勢の人々。リボンで飾られた背の高いポールを中心に、華やかな長スカートをひらめかせて踊る娘たち。鋤の先のような形をした燭台の、ろうそくの明かりにやんわりと照らされた、赤い服を着た小人の人形たち。輪郭のぼやけた人々の顔に混じって、どの場面にも必ず男と女の姿があった。穏やかで陽気な笑みを浮かべ、はしゃぐ子供たちを見守りながら。
「若い頃は夫と二人でお祭りにも行ったわ。春を祝うお祭り。夏至祭。クリスマス。でもあの人はもともと、賑やかなことが好きではなかったのね。歳を重ねるにつれて、付き合いでもなければ外には出なくなった。……楽しいことがなかったはずはないの。二人きりで誕生日を祝ったり、クリスマスのケーキを焼いたり。でも長い時間が経ってしまうと、自分で思い出そうとしない限り、どんな思い出も次第にぼやけてしまって、本当に自分が経験したことなのか分からなくなってしまうの。同じ時を過ごした人がいなくなれば……語り合える相手がいなくなればなおさら、本当にあったことなのか、夢見ただけのことなのかも確かめようがなくなってしまう。悲しいことや、つらいことでさえも、今の私にとっては、すべて夢だったように思えてしまう。いいえ、本当はすべて、夢だったのかもしれないわ」
「夢? ほんとにあったことなのに?」
 老婦人は聞こえなかったのか、顔を上げなかった。
 小さな世界の時は移ろっていく。ふわりふわりと、時の断片が球の中に映し出される。男の子は父親に似て背の高い青年へと成長し、女の子は母親と同じ色合いのブロンドに雪の欠片をまとわせ、美しく育っていく。そして子供たちが成長するにつれて、男の髪は薄くなり、女の髪は雪のような白に染まっていく。ちょうど、老婦人の髪と同じような色に。
「夫は六年前に亡くなったわ」魅入られたようなまなざしとは対照的に、老婦人の口からは淡々となぞるように、現実の時の流れが紡ぎ出される。「あの人は最後まで働き者だった。ある朝早く、牛に餌をやっている最中に突然倒れたの。そして二度と目覚めることはなかった。穏やかに続いていた日々は、そこでぷつりと終わってしまった」力なく椅子に背を預け、震える手を祈るように胸の前で握り合わせる。「それ以来、私はずっと、この家で一人で暮らしてきたの。生活に不自由はしなかったわ。足が悪くなってからも、ミルクや食べ物や、必要なものはなんでも届けてもらえた。身寄りはいないけれど、小さな町では誰かが少しずつ気にかけてくれるものなの。でもともに日々を過ごしてくれる人はいない。私はただ、この部屋で一人、じっと生きてきたの。長い夜を数えて。夢をみることもなく」
 スノーボールの中にはまた、あの丘と家とが現れていた。家の煙突からは煙が穏やかに立ちのぼっており、窓からは優しい光が漏れている。男と女の姿は見えない。しかし耳を澄ませば、老いた二人の笑い声が聞こえてきそうだった。
「これは私のもう一つの思い出? まだ二十歳にもなっていなかったあのときの、もしも、の続きなのかしら?」老婦人の目には涙が浮かんでいた。「これは幸福な夢なの? このスノーボールを送ってくれたのは……天国のあの人なの?」
 その問いかけは、誰もいない部屋に空しくこだました。小さな配達夫は、いつの間にか姿を消していた。

 三日後、小さな町の街路を教会に向かって進む、小さな葬列があった。雲間からこぼれていた陽の光は人々が歩むうちに消えてしまい、ちらちらと細かい雪が降り出していた。人々はうつむきがちで、前日までに積もって硬くなった雪をブーツで踏みしめ、足取りを確かめるように進んでいく。
 胸に配達夫のバッジをつけ、毛糸の帽子をかぶった十歳くらいの少年が、通りの反対側から軽い足取りで歩いてきたが、その葬列とすれ違いかけて足を止めた。そして列の一番後ろを歩いていた口ひげの老人に声をかけた。
「誰が亡くなったの?」
 老人は胸に当てていた帽子を、雪除けのために申し訳なさそうに頭に被りながら、小さな少年に向かって答えた。
「カタリーナさんだよ。古い住宅街で一人で暮らしていた人さ」
「ああ、カタリーナさん。家の中で倒れてたの? 誰が見つけたの?」
「ミルクの配達人が見つけたそうだ。呼び鈴を鳴らしても出てこないもんで、ドアに手をかけてみたら、鍵がかかっていなかったんだと。おかげで見つかるのがあまり遅くならずに済んだというわけだ、幸運にも」
「ふうん」少年は何に興味を持ったのか、マフラーの位置をちょっと直すと、老人と並んで歩き始めた。「おじいさんはカタリーナさんの親戚? それとも友達?」
「昔から知ってはいたよ。数年前に亡くなった、彼女の旦那と知り合いだったんだ。彼女にはもう身寄りがないそうだ。この葬列に加わった老いぼれたちはみんな、彼女とちょっとずつ知り合いだっただけなんだよ」
「それはちょっと、寂しいね」
「寂しいな。だがわしらはみんな、似たようなものかもしれん」老人は言葉を切り、前を行く棺を見つめた。「だがカタリーナさんは、安らかな顔をしていたよ。火の消えてしまった暖炉の前で、テーブルに突っ伏して、居眠りするみたいに……飲みさしのカップが二つあったから、来客があったんだろう。そうして客が帰ってからそのまま、寝入ってしまったんじゃないかな。本当に安らかな顔だった……いい夢でも見ながら、苦しまずに亡くなったのかもしれん」
「夢」不思議そうにつぶやくと、少年は澄んだ青い瞳を上げて老人に訊ねた。「夢と現実って、どこが違うの? いい夢を見たら、それが現実だって思っちゃいけないの?」
「夢は夢じゃないかね」老人は笑って諭すように言い、それから少年の胸のバッジに初めて目を留めた。「きみはどこの子だね? それはお父さんのバッジだろう。勝手に持ち出してはいけないよ」
「ぼくはちゃんとした配達夫だよ」
 強い風とともに、雪が勢いを増した。老人は帽子を抑えてちらっと空を見上げた。
「そら、今日も雪が強くなるぞ。早く家に帰りなさい――」
 老人は言いかけて、おや、と辺りを見回した。少年の姿はもうどこにもなかった。
 やがて小さな町を包み込むように、弔鐘が鳴り渡った。