十二年目の帰郷 (一)


「水原さん?」
 呼ばれて思わず振り返ると、坂の下から知らない男がじっとこちらを見つめていた。夕焼けのせいばかりじゃない、赤く赤く血走った目。
「水原さんのお嬢さんではないですか?」
 男はゆっくりと、淀んだ声でそう訊ねてきた。夕日が男の小さな体を血の色に染めている。顔は四十代くらいに見えるが、くたびれたスーツの下の背中は老人のような猫背だ。手に持ったアタッシュケースの重みに耐えかねているみたいに前かがみになっている。前髪は夏の汗を含んでじっとりと額に張りついている。
「違います」
 反射的に答えて、私は首を振った。音を立てて血の気が引いていく。ひやりとしたものが背筋をなでていく。
 動揺していることに気づかれないよう、表情を消す。
 知らない男はまだ、窺うように私を見つめている。長く伸びた私の影の先を、男の埃っぽい革靴が踏みつけている。私は身動きできないんじゃないか――体を動かせたとしても、影だけはそのまま男の足に留められ、囚われてしまうんじゃないか、ふとそんな気がした。
 私は男に背を向けると、努めていつもと同じ歩調で歩き出した。右手には人気のない広い畑が、左手には苔の生えたブロック塀が続いている。この緩やかな坂道を、夕日に向かってもう少し上っていけば曲がり角がある。そこを曲がれば塀が私の姿を男から隠してくれる。それに家まではあとわずかだ。
 私はスポーツバッグの持ち手をぎゅっと掴んだ。何も変わったことなどない、何にも怖がってなんていないと自分に言い聞かせ、いつもどおりの足取りを装いながら、全身を耳にして背後の様子を窺った。聞こえてくるのはひぐらしの合唱だけだった。それでも背中に男の視線がねっとりと注がれている気がして、確かめずにはいられなくて、するりとブロック塀の角を曲がると同時に、ほんの一瞬だけ、後ろを振り返った。
 あの小男は、じっと同じ姿勢のまま、私のことを張り詰めた表情で見つめ続けていた。追いかけてくる様子はない。執拗に追いかけてくるのは視線だけだ。
 すぐに男の視界から身を隠した。私はほっと一息ついたが、そこからは早足で家へと向かった。男の表情が、目が、声が、まぶたの裏や耳の内側にこびりついている気がしたが、私は自分の小心を笑い、忘れようとした。偶然に決まっているのだ。小さい頃の悪夢が、今になって現実になるなんて、馬鹿げている。
 私の名前は金子青葉。私が水原という名前だったのは、十二年前――小学校に上がる前までのことだ。私の古い苗字を知っている人間は、養父母を除けば、この小さな町には一人もいない。

「ただいま」
 ガラガラと玄関の戸を引いて声をかけた。毎度のことだが、返事はない。返事を期待するにはもっと声を張り上げなければならないが、そんなことをすれば私の帰宅が近所中に知れ渡ってしまう。
 居間から野球中継の音声が聞こえてくる。障子戸の隙間からのぞいてみると、養父がTシャツ一枚でテレビのまん前にあぐらを組み、食い入るように画面を見つめていた。部屋がすっかり暗くなっていることにも気づいていない。私は畳を踏んで部屋に入り、裸電球に明かりを灯してやった。
「おじいちゃん、そんな近くでテレビ見てたら、ますます目が悪くなるよ。それに暗くなったら明かりを点けなきゃ」
 養父は――他に呼びようがなくて、小さい頃からずっと「おじいちゃん」と呼んでいるのだが――私の声にというより、電気が点いたのに反応して顔を上げた。そしてやっと、私に気づいて目を細めた。
「おお青葉、帰ってたのか。今日も学校に行ってたのか? 夏休みだってのに大変だな」
「部活だよ。今朝もちゃんとそう言って出てったじゃない」
「そうだったか? だがセーラー服を着ているじゃないか」
「ジャージで行き帰りなんて格好悪いもん。これも前に言ったことあるよ。何でも忘れちゃうんだから」
 養父は憤慨した。「そんなことはない」
「じゃあ、今度のバレー部の大会、いつだか憶えてる?」
「大会か。おまえも出るんだったな? ちゃんと憶えているとも。来週の……木曜だったか」
「再来週よ。会場は電車で五つ目の駅の近く。今度こそ忘れないでよね」
 養父はうんうんとうなずいた。そのとき、ブラウン管の中で阪神の打者がヒットを放った。養父はごま塩頭をくるっとテレビに向け直した。耳が悪いくせに阪神のヒットの音だけは分かるのか、それとも視界の隅っこに贔屓の打者の姿が映っていたのか。私は小さくため息をついた。私だって、本当に応援に来てくれると期待して言ったわけじゃない。養父は昔から、人の多い場所が苦手なのだ。養父の「よしっ」という声に肩をすくめて、私は台所に向かった。
「おばあちゃん、ただいま」
 養母も養父に負けず劣らず耳が遠い。まな板に向かい、鼻歌を歌いながら慣れた手つきで大根を刻んでいる。もう一度、声を一段大きくして呼ぶと、ようやく気づいてくれた。料理の手を止め、くすんだ紺色のエプロンで手の水気を拭きながら振り返った。
「おやおかえり。今帰ったのかい」
「うん。今夜のおかず、何? できるまでどれくらいかかりそう?」
「さっきまで隣の山本さんが来てたもんでね。今作り始めたばかりなんだよ。かぼちゃを頂いたから、今夜はそぼろあんかけにしようと思ってね。あとは大根のお味噌汁」
「じゃあまだ時間かかるね。先にシャワー浴びてきていい?」
「いいけど、すぐ浴びてくるんだよ。またこないだみたいに、部屋に上がってすぐに眠ったりするんじゃないよ。風邪をひくからね」
「分かってるよ」
 養母の声を背中で聞きつつ、狭い階段をギシギシいわせながら二階に上る。自分の部屋に転げ込むと真っ先にスポーツバッグを放り出して、隅に畳んであった布団を広げ、部活でくたくたになった体をどっとその上に投げ出した。ごろりと寝返りを打ち、大の字になる。体中をここちよい痺れが巡っていく。深く息を吸うと、乾いた畳と埃の匂いが、昼の暑さを残した空気と一緒に肺に吸い込まれていった。障子戸の隙間から洩れた夕焼けが、細い帯状になって私の胸を斜めに横切っていた。
 ちょっと一休み、のつもりでも、この格好になってしまったら最後、なかなか起き上がれるものではない。とはいえ、分かっていても簡単にやめられないのが癖というものだ。痺れて熱くなった意識がふっと遠のき、放っておけばそのままずるずると睡魔の誘惑に引き込まれていってしまう。今はまだ眠っちゃいけない、という心の声がここちよさにかえって拍車をかける。そうしてすっかり眠りこけていると、険しい顔をした養母に肩を揺すられ、一つ二つ小言をもらう……。
 でも、今日はそうはならなかった。体は疲れているけれど、頭ははっきりしている。理由はわかっている。見上げた天井の木目の間に、あの男の姿がくっきりと映っていた。薄気味の悪い、充血した目が恨めしそうに見下ろしてくる。今度もすぐには目を逸らすことができなかった。なぜなら、そんな目で見られるだけの心当たりがあったから。

 私と母がこの小さな田舎町に越してきたのは、ちょうど私が小学校に上がる直前のことだった。その日は突然やってきた。母方の遠い親戚の家に遊びに来ただけだと思っていたのに、その日からそこが「私の家」になってしまったのだ。畳の青臭さは当時の私にとって、他人の家のもの以外の何物でもなかった。幼稚園で仲の良かった友達とはもうお別れなのだと、離れ離れになってしまったのだと初めて知らされた夜、泣き出した私の両肩をつかんで、母は蒼白な顔で厳しく言った。
「泣くんじゃないの。もう決まってしまったことなんだから。それからね、今日からあなたは水原青葉じゃない、金子青葉よ。金子。水原さんと呼ばれても返事をしちゃだめよ。分かった? 分かったわね?」
 普段そんな強い口調でものを言うことのない母だった。だから私は恐くなって、泣くのをやめて震えながらうなずいたのを憶えている。金子というのは母の旧姓だ。結婚したら女の人は相手の男の人の苗字になるのだと、私はそのときすでに知っていた。元の苗字に戻るというのがどういうことを意味するのかも、おませな友達との会話を通じて、恥ずかしいこと、という感覚とともに脳裏に刻み込まれていた。
 そのとき薄々感じたとおり、父は二度と私たち母子の前に姿を現さなかった。そのことを寂しいと思う気持ちはしかし、周囲の大人たちの無言の緊張に押しつぶされ、外に出る機会を失ってしまった。そして母が亡くなった頃には、別の感情へとすっかり姿を変えていた。
 母はもちろんのこと、居候先の老夫婦――つまりほどなく私の養父母となった人たち――も、私の前では父の話を一切しなかった。他の人の前でも滅多にしなかった。どうしてもよその人に返事をしなければならないときは、「事故で……」という曖昧な言い方をした。よその大人たちはそれを聞くと、ははあとうなずきあい、あるいは気の毒そうな顔をして、それ以上詳しいことを訊こうとはしなかった。
 もちろん、本当に父が亡くなったわけではないことを、私は母の態度や養父母の言葉遣いから感じ取っていた。けれど、以前にもまして無口になり、毎日毎晩内職に明け暮れては、ときおり目に涙をためている母に、本当のことを聞く勇気はなかった。目の前で母に泣き出されでもしたら……と思うと怖かったのだ。母は幼い私から見ても繊細な人だった。それでも知りたい気持ちは抑えきれず、私はそれとなく大人たちの言動に気を配っていた。
 そしてある晩、母と老夫婦とが居間で低い声で話をしているのを、私は廊下の暗がりで聞いてしまった。
「いつまで待ち続けるつもりだね。あんた、旦那さんが戻ってくるなんて本気で信じてるのかね」
「……はい」
「旦那さんも旦那さんだが、あんたもあんただ。そうやって黙って待ってるだなんて、お人好しにもほどがある。いつまでそうして世間様から身を隠しているつもりだね?」
「……」
「いいかい、あんたは騙されているんだ。ほんとに旦那さんが何もしちゃいないっていうなら、どうしてあんたはここにいる? あんたが何を信じようと勝手だがね、こうして他所様に迷惑をかけといて、言い訳なんぞできるもんじゃないんだ。だいいち、妻子をほったらかしにして逃げるなんて男は――」
「違います。あの人はそんな人じゃありません。私は少しも……」
 引き戸の隙間から、小さく背中を丸めてすすり泣く母の横顔が見えた。養父はいっそう声を低くした。脅迫、警察沙汰、そんな単語がときおり耳に入ってきた。会話のすべてが聞こえたわけではなかったが、母の背中と、言葉の重い響きと、養父の苦々しい口調だけで十分だった。
 父は罪を犯して逃げたのだ。私たち家族を捨てて。
 ――父さんは犯罪者なんだ。
 その夜は眠れなかった。翌日も、その翌日も、興奮した心臓は昼となく夜となくどくんどくんと激しく打ち続け、どうにかなってしまいそうだった。大人たちは私の様子が変わったことに気づいたのだろう、私に何も悟らせまいと、ことさら自然にふるまおうとした。それがかえって、思い違いかもしれないという気休めを私から奪ってしまった。
 今もときどき、あの頃のことを思い出す。父がいないというだけでも肩身が狭いのに、誰にも言えない家庭の秘密を背負って過ごさなくてはならなかった日々。世界が真っ黒な雲に覆われてしまったみたいに、私はいつもふさぎこんでいた。学校の遠足や運動会や、楽しいことで気が紛れることもあったけれど、ふとした拍子に意地の悪い声が忍び寄り、私の心に囁きかけてきた。
 おまえは犯罪者の娘だ。人並みに人生を楽しむ資格などないのだぞ、と。
 母は私が小学校三年生のときに倒れ、あっけなく逝ってしまった。極度のストレスと過労が原因で脳梗塞を起こしたのでしょう、と医者は教科書でも読むように説明した。しかし死の原因が何であったにせよ、母の死に顔は安らかだった。絶え間ない心配から自分だけ解放された母のことを、私は心の中で羨んだ。そして、私と同じ苦しみにさらされ続けた母を想って少しだけ泣いた。結局それは、私自身のための涙だった。しかし近所の人たちはそんな私の胸の内など何も知らずに、型通りの慰めの言葉をかけてきた。
 それ以来、私は少しずつ考えを改め始めた。このままでは、私も母のように少しずつ弱って死んでしまうだろう。それでいいのだろうか? 父が何をしたのかは知らないが、なぜそのせいで私がびくびくしながら生きなければならない? 父がしたことについて、なぜ私が責任を感じなくてはならないのだ? 私は私なのだ。それにどのみち、父について本当のことを知っている人間はこの町には養父母しかいない。私を養子として引き取った彼らが、父のことをわざわざ他人に言いふらすはずがない。だったら、いつか誰かに後ろ指を指されるんじゃないか、などと怯えて過ごす必要もない。心配することなど何もないじゃないか。
 私は母の死によって芽生えたその考えに必死にしがみついた。私は母のようにはならない。強くなるんだ。
 私は意識して自分を変え始めた。それまで先生やクラスメートの目線を避けるようにしていたのを、ぐっと見返すようにした。人の顔色ばかり窺うのをやめて、胸を張って自分の意見を口にするようにした。自分が正しいと思ったことがあればためらわず行動し、それによって自信を深めようとした。私は私だ、父とは関係ない――心が折れそうになるたびに、その言葉を繰り返し心の内で唱えた。父についての数少ない記憶を思い起こしそうになるたびに、頭を振って追い払い、忘れようとした。父という名の見えない敵に立ち向かうようにして毎日を過ごした。

 そうやって、私は生き残ったのだ。中学に入ってから始めたバレーボールも、嫌なことを考えないようにするのに役立った。友達を作れるようになったのも、部活のおかげだった――人を観察することに慣れてしまった私には、それほどたくさんの友達はできなかったけれど。
 そうして懸命に打ち勝ってきた過去、忘れたはずだった父のことを、あの見知らぬ男の言葉が呪いのように呼び覚ましてしまった。水原さん――男は確かにそう呼んだ。それにあの目。ずっと何かを探し続けてきた、そんな目をしていた。あの男と目が合った瞬間、私の頭に浮かんだのは、被害者、という言葉だった。被害者。父のせいで被害に遭った人。あの小男はもう長いこと父を憎み続けていて、今でも父やその身内を探しだそうとしているのではないか。だからこそ通り過ぎただけの私の顔立ちのどこかに、父の面影を見出せたのではないか……。
 私はもう一度寝返りを打ち、天井に映る男の顔からようやく目をそむけた。分かっている。私の考えすぎだ。疲れて感傷的になっているだけだ。あの男はたまたま、私のことを知り合いの「水原さん」の娘と勘違いしたのだ。そう考える方がずっと自然だ。十二年前には小さな子供でしかなかった私を、一目で父と結びつけて考えられる人間など、そうそういるはずがない。
 たぶん、私は認めたくないだけなのだ。あの男に古い名で呼ばれただけで、自分の心がこうも揺れ動いてしまったということを。とっくに振り切ってきたはずの過去が、こうも簡単に目の前に舞い戻ってきてしまったということを。
 ただ……父が本当に何か罪を犯したのだとしたら、父のためにひどい目に遭った人がいるのだとしたら。その人たちは今も、父によってもたらされた災厄に苦しんでいるかもしれない。心の傷を癒しきれずにいるかもしれない。そう思ったことは何度もある。そんなものは自分と何の関わりもない――そう突っぱねて今までやってきたけれど、いつも心のどこかに引っかかっていた。父が何をしたのか、それくらいは知っておくべきなんじゃないか。それが正しいことなんじゃないか、と。
 揺り起こされた記憶はもう一つある。忘れようとしても忘れられなかった、父の最後の、唯一の記憶だ。
 あの日――この町に移り住む少し前の夜に、父が私の枕元に来た。記憶の中の父の顔には黒いもやがかかっていて、顔の造作も表情も定かではない。しかしそのとき言われた言葉と、包み込むような優しい声音だけは、なぜかはっきり憶えていた。
「これを大事に持っているんだよ。いいかい、これのことは誰にも言っちゃいけない。これはパパと青葉の秘密の鍵だ。もうあと何日か、なくさないで持っているんだよ――」
 手渡されたのは小さな、おもちゃのようにちっぽけな鍵だった。その冷たい金属の感触も、父の言葉とともに強く印象に残っている。たぶん、鍵というものを手にしたのはそのときが生まれて初めてだったのだろう。私は、うん、と返事をして、鍵をぎゅっと握ったまま寝入ってしまった。去りゆく父の、スリッパの音を聞きながら。
 それは夢だったのではないかと思われるほど、美しい、清らかな思い出だった。犯罪者となり、母と私を置き去りにして姿を消したという父のイメージとは大きくかけ離れている。私の未練がましい願望が作り出した、偽物の記憶かもしれない。でも……。
 私はふと思い立って起き上がると、勉強机の一番上の引き出しを開け、奥に指先を突っ込んだ。固い感触を頼りに、小さな銀色の鍵を引っ張り出す。父のことを必死に忘れようとしていた頃も、正体の分からないこの鍵ばかりはどうしても処分できず、今までとっておいたのだ。父の思い出が仮に私の妄想だったとしても、鍵は今もこうしてここにある。何を開くためのものなのか分からないまま。
 私はうっすらと錆の浮いた鍵をしばらく見つめ、自分が何をすべきかじっくり考えた。それから意を決して階下に下りると、廊下の電話の受話器を取った。ダイヤルを回す古いタイプの黒電話で、当然アドレス帳のような機能もないが、数少ない友達の携帯番号ならそらで憶えている。すぐに相手が出た。
「はい」
「もしもし、京子?」
「ああ、青葉ね。どうしたの?」
 京子は中学時代からの友達だ。高校ではクラスは違うが、同じバレー部に所属している。
「うん、実はさ……」電話のコードに指を絡ませながら、ちょっとの間、どう言おうか考えた。養父母に聞かれる心配はないが、つい声を落としてしまう。「明日さ、部活休みたいんだけど……部長にうまく言っといてくれない?」
「珍しいね。ひょっとしてデート?」
「そういうんじゃないんだけど」
「ん、どした、何かあったの?」
「うーん、ちょっとね」指に絡んだコードをほどく。「どうしても、行ってみたいところがあって。来週は大会一週間前だし、大会終わったら今度は新人戦に向けての練習が始まるじゃない。二学期に入っても土日ないしさ、今のうちしか行けないかなあと思って」
「珍しく意味深な言い方をするね。遠いところに行くの? 一日で帰って来れるの?」
「それもよく分からないんだ。ひょっとしたら二、三日戻れないかも」
「ふーん、なんか事情があるわけね。まあいいよ。部長にはそれっぽいこと言っとく。ついでに、もしおじさんたちからなんか聞かれたら、私んちに泊まってるってことにしとく。そんなとこ?」
 話が早い。京子のこういうところが私は好きだ。
「ありがと。こんど今井屋のタイヤキ奢るね」
「サーティーワンのアイスの方がいいな。暑いもん。それよりさ、デートがうまくいったら話、聞かせてよね」
「だからそういうんじゃないってば」
「そういうんじゃなくてもいいよ。……あ、ごめんそろそろご飯だって」
「うんわかった。こっちもそろそろだし。じゃあ明日は頼むね」
「おっけ。じゃあまた」
「またね」
 受話器を置くと、見計らったように養母が呼ぶ声がした。私は汗っぽい制服のまま、空腹を抱えて台所に向かった。養母は私をちらりと見て、養父を呼んでくるように言い、それから、シャワーがまだでも服ぐらいは着替えてくるようにと、しっかり釘を刺した。